ひろしコンフォーコ

ツィンク奏者が物知り顔であれこれ語ろうとするものの、ちっとも上手くいかないブログ。

50点でいいんだよ。ベストを尽くすっていうのはさ。

みなさん大好きツィンク奏者のひろしですよ。どもども。

 

今回は、少しでも良いパフォーマンスをする為に、いま僕が考えていることを書いてみようと思います。

 

異論・反論ある方も多いと思いますが、そういう方はぜひSNSでコメントくださいね!

 

ベストを目指すことのリスク

よく常にベストを尽くせって言うけど、それってかなり無理があると思う。

常にベストを尽くすのは大切なことだけど、ベストを目指し続けるという思考は意外と邪魔になることが多い。

 

ベストと目指し続けるって考え方は、失敗が許されないという思考に繋がりやすい。

 

そうすると、ストレスフルな状態に陥りやすくなる。

 

心理的に余裕がなくなってくると身体的なパフォーマンスも落ちやすくなってしまう。

 

これが、ベストを目指すということが、結果として、ベストを尽くすことに役立っていないという理由。

 

そもそも、常にベストを尽くすというのは人間である以上ほとんど不可能だと思う。
良い時もあれば悪い時もある。
人間ってそういうものでしょ?

 

50点でいいんじゃない?

そこで、僕が考えたアイディアは50点を目指すというもの。

 

50点って数字に何の根拠もないけど、ざっくり今の半分くらいを目指せばいいと思えば、なんか余裕な感じするでしょ?
100点を目指し続けるのはしんどいけど、50点くらいならいつでも取れるしプレッシャーやストレスから解放されて、結果としてパフォーマンスが上がるの巻なんだよ〜。

 

50点を目指して、もし仮に本当に50点くらいの結果にしかならなくても、50点を目指したのだから、それはそれでいいと素直に受け入れられる。
多くの場合、次に繋がる反省というのは、まず結果を素直に受け入れることから始まる。
そのハードルが低いと、有用な反省と学びに繋がるということでもある。

 

レベルアップの機会を得られやすいということ。

 

これって素敵じゃない?

 

それに、50点でいいと思っている時点で、心理的にリラックスした状態でいられる。
こういう状態は、良いパフォーマンスに繋がりやすい。

 

そして、リラックスしている状態は、やはり意義のある反省と実験をしやすい。

 

50点を目指すことで、リラックスして良いパフォーマンスを発揮しやすい状態を得られて、意義のある反省が出来て、次に繋げられる。
そして、反省を生かしてより良いパフォーマンスにまたリラックスした状態で臨める。

 

良いことだらけの好循環が待ってますよ、と。

 

結果か思考的こだわりか

言葉遊びみたいだけど、ベストを目指すことと、実際にベストな結果を残すことと、どちらを選ぶかってことなんじゃないかと思う。

 

僕は、結果を出したい。

 

結果が全てとは思わないけれど、目的を持って行動しているなら、その行動には結果が付いてきてほしいと思うのは自然のこと。
プロセスは結果に向かうの為の試行錯誤であったり行動だと思うから。

 

だったら、どんなアイディアであろうが、結果に繋がりやすいものを選んだ方がいい。

 

 

僕は、50点奏法を心掛けていこうと思う。

 

 

全盛期のイチローだって、常に100点ではなかったじゃないか。

 

決してシーズン通してベストな状態ではなかったけど、10年連続200本安打という記録を打ち付けた。
彼が50点を目指していたとは思わないけれど。

 

こういうのは、合う合わないがあるから、自分に合う思考法、やり方を選べばいいと思う。

 

そんなこんなで、一つのやり方に固執しないで、色々試してみることをおすすめします!

 

決して、100点取らなきゃって自分を追い詰めなくていいんだよって話でした!

 

では!

 

断酒レポート!!!!!

ども!ツィンク奏者ひろしです。

 

決して僕は健康意識が高いとかそういうことは一切ないんですが、健康の為にお酒止めます宣言をしました。それは3月の終わり頃のこと。

 

その時の記事はこちら。

 

 

どうせ上手くいってないんだろ?

 

という声があちこちから聞こえてきそうですが、僕をそんなに甘く見てもらっちゃ困ります。

 

アセトアルデヒドの人

実はこの宣言の数日後にリュート奏者の方とのリハがあったのですが、リハ後、リュート奏者は悪魔の如くアルコールの誘惑をしてきました。
断っても断っても、

 

「我慢のしすぎも良くないよ?」

 

「ストレスは体によくないよ?」

 

と、心配するふりをしながら巧妙に悪の道に引きずり降ろそうとしてきます。
典型的な悪魔のやり口です。

 

きっと、アセトアルデヒド仲間が欲しかったのでしょう。

 

しかし、こちとら知ったこっちゃありません。
何とかお酒を断とうと必死なのですから!

 

戦いの末、僕は初めて居酒屋で焼き鳥を食べながらアルコールを摂取しないという体験をしたのでした。

 

コーラって3杯も飲むとお腹ぐるぢぃんですね…

 

ビールならいくらでもいけるのに、、、

 

なんとなく、なんとなくだよ

良い調子でした。

全て順調。

 

もともと毎日飲んでるわけではなかったけど、外で誰かと食事する時は必ず飲んでた僕からすれば、お酒のない生活がこんなにも爽やかなのかと。

 

爽やかさとは無縁の僕なんですけれどね、、えぇ。

 

そうこうしている内に一ヵ月ほど経ちまして、友達と飲みに行く約束をしました。

 

 

??????

 

 

え、何かおかしなことでも言いましたか?
そりゃ僕だって友達と飲みに行ったりくらいしますよ。

 

 

断酒はどうしたのかって?

 

 

何をおかしなことを。
愚問ですね、愚問。


断酒にだって息抜きってもんが必要でしょうが!

そんなガチガチに真面目すぎるくらい真面目にしてるからこの世の中は肩が凝るんですよ!

息抜きが必要なの!

楽しみたいの!

 

人生、いくら成人君主のように生きて、たくさんの人の役に立って、みんなから尊敬されて、不自由もなくても、楽しくなきゃつまんないでしょ!?

 

人生、楽しんでナンボ!

ネタみたいなもんです!

 

もっと、肩の力抜いてゆるぅ~くいきましょ!

 

 

 

・・・・・・そんなこんなで断酒失敗しましたとさ。

  

 

ほら、こればっかりは習慣ですから、簡単に止めることことなんて出来ないんですよ。

別にものすごくお酒が飲みたかった訳でも、我慢が出来なかった訳でもありません。

 

 

なんとなくですよ、なんとなく!

 

 

人間、なんとなくの力に打ち勝つのは難しいもんですねぇ。
あれこれ考えずに、なんとなくやっちまうんだから。なんとなく。

 

なので、これから断酒を始めようって人は、なんとなく対策を考えること。
一度失敗しても長い目で継続していくこと。

 

この二つは気を付けた方がいいかもしれません!

 

 

はい、てなわけで、断酒に励みたいと思います!!!!←うそ

 

 

てか、楽しくなきゃつまんないってなんやねん。。
当たり前やんけ。。

 

 

ばいばい!

 

金管アンサンブルでガブリエリなどの古楽を演奏する時に知っておきたいこと。

古楽演奏家以外の人でも古楽を演奏する機会は非常に多いですよね。

 

特に金管アンサンブルでは、フィリップ・ジョーンズ・ブラス・アンサンブルの影響で、ガブリエリのカンツォンやルネサンス舞曲といったルネサンス~初期バロックの音楽を取り上げることも少なくない。

 

ということで、そういった古い音楽を演奏するうえで気を付けておきたいこと、知っておきたいことを少しばかり紹介しようと思う。

 

ま、気軽に読んでくださいね!

 

じゃー、今回もいっちゃうよー!!

 

ベートーヴェンを演奏する時はどうしますか?

おそらく、普段、古典派やロマン派などの音楽を演奏する人はそれぞれの時代の特徴について学ぶと思います。
古典派の表現方法や傾向、スタイルについてだったり。
その為に、ベートーヴェンだけでなく、モーツァルトやハイドン、その前後の時代の作曲家との違いや特徴についても学ぶと思います。

 

もちろん、ベートーヴェンの曲についても様々な角度から分析するでしょう。
同じベートーヴェンでも初期の作品と晩年の作品では違いがあるでしょうし、交響曲と弦楽四重奏でも違いがあるでしょう。
それとは逆に、一見、異なる特徴をもつ作品の中に共通点を見つけることもあるかもしれません。

 

そして、ベートーヴェンがどんな人間だったか。
歴史的背景やどんなことに影響を受けて、何を考えて作曲したのか。
そういったことも調べますよね。

 

ガブリエリを演奏する時は?

では、金管アンサンブルでガブリエリのカンツォンを演奏する時は何を参考にしますか?

 

どんなことを勉強したり調べたりしますか?

 

おそらく、同じ曲を演奏している団体のCDを参考にしたり、ガブリエリの他の曲について調べたりするのではないでしょうか。

 

もちろん、そういった勉強も必要だと思いますが、ガブリエリについて調べるだけでガブリエリが分かるようになるでしょうか?
ベートーヴェンとガブリエリの違いには気が付いても、ガブリエリと同じ時代の他の作曲家との違いやその時代の表現方法や慣習、さらに古い時代の作曲家と比べた時に見えてくる特徴を知ることは出来ないのではないのでしょうか。

 

ベートーヴェンを演奏する時、ストラヴィンスキーのように演奏する人は少ないと思います。
時代も国も音楽環境も、作品のもつ特徴も全く違うからです。

 

ストラヴィンスキーの時代の常識をベートーヴェンの音楽に当てはめようとする人も少ないでしょう。

 

また、ベートーヴェンをモーツァルトのように演奏する人も少ないと思います。
同じ古典派だからと言って、同じような表現方法で演奏出来るとは限りませんよね。

 

ベートーヴェンとモーツァルトの違いについては、僕よりもみなさんの方が詳しいと思います。

 

ガブリエリを演奏する時も同じように、その時代の常識や慣習を知る必要があると思います。
そして、その上で同時代の他の作曲家との違いについても知るべきです。

 

ストラヴィンスキーやモーツァルトを知ることで、ベートーヴェンの特徴を知ることが出来るのと同じです。
ベートーヴェンを知る為にベートーヴェンしか勉強しない人はいません。

 

ガブリエリを演奏する時でも同じです。

 

ルネサンスやバロックの音楽を演奏する時に、古典派やロマン派の常識に則って演奏する人は多いですが、これは、ベートーヴェンをストラヴィンスキーのように演奏しているのと同じことです。

 

そうならないように、ガブリエリを演奏する時には、まずガブリエリの時代の音楽の常識について勉強することがより良い表現に繋がると思います。

 

専門家に聞くのが速い

金管アンサンブルをやる訳ですから、金管楽器の専門家にレッスンを受けたり表現について教えてもらうのが普通だと思います。

 

しかし、現代の金管楽器界の状況を考えると、オーケストラで演奏されるような時代の音楽には詳しくても、ルネサンスやバロックの音楽に詳しい人はかなり少ないと言えます。

 

であれば、ガブリエリなどのルネサンス~初期バロックを演奏する時は、ルネサンスや初期バロックの専門家に教えてもらうのが得策です。

 

気を付けなければいけないのは、バッハなどの後期バロックとガブリエリなどの初期バロックでは様式や表現方法が異なるので、間違っても後期バロックの専門家にガブリエリを持って行かないようにしてくださいね!

 

今回は「金管アンサンブルでガブリエリを演奏する時」という例でしたが、ピアノや弦楽でも同じことです。

 

ちなみに、ガブリエリは初期バロックの時代の作曲家です。
他に金管アンサンブルで取り上げられる曲には、ジェルヴェーズを始めとするルネサンスの時代の作曲家もたくさんいます。

 

 

金管アンサンブルで演奏する機会がある方は、ルネサンス~初期バロックについて勉強してみてはいかが?

 

 

では!!

 

 

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ではでは、進撃の巨人2期を見て、一緒に心臓を捧げましょー!!!!

 

 

 

hideの命日。あれから19年。

 

5月2日。

 

X JAPANのギタリストhideの命日。

 

hideが亡くなったのは1998年。
もう19年ですか。
僕はまだ9歳でした。
hideを聴き始めたのはその翌年。
その頃、もうすでに死んじゃってるなんて思わなかった。

 

僕はhideの生前を知らない。
まぁ無理もありません。
音楽始めたのが10歳ですからね。
それまでは、音楽なんて意識して聴いてませんでしたから。

 

でも、見れるものなら見たかったですよ、生前のhideの姿。
それも今となっては、叶わない夢ですけどね。
何がどうひっくり返ったって叶わない。
当り前ですけど。

 

hideに会いたいなぁなんて、会ったこともない僕が言うのは、些かおかしな話ではあるけれど、会えるもんなら会いたい。

 

それにしても、音楽っていいですね。
実際に会っていなくても、会ったことなくても交わせる言葉がある。
hideが残した音楽は決して多くはないけれど、どれも彼の意志が根付いている。
僕らはそれに触れることが出来る。
それは、本当に幸せなこと。

 

hideは最高のボーカリストでもありました。
hideは、自分の声は楽器だと言ったけれど。
その言葉通り、変幻自在に曲の世界観を描き出してしまう表現力。
でも、そのどれをとっても、hideだというのが良くわかる。
どんなhideもhide。

 

そんなhideの音楽に触れていると、どこか懐かしいような、ホッと安心するものがある。
何もかも包み込んで、分け隔てなく、、、

 

 

REMONed…

 

かつて不良品とされていたもの。

 

 

ファン想いだったhideが遺してくれたくれた音楽。

 

 

hideの音楽は、いつまでもファンの心に息づいている。

 

 

 

LEMONed I Scream

LEMONed I Scream

  • hide
  • ロック
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

 

ありふれているからこそ価値あるもの。

これはごく個人的なことだけれど・・・

 

僕は古楽を含むクラシック畑の人に誇れるような、胸張れるような活動をしたいとは思わない。
僕もツィンク奏者だから、サンマルコ寺院で吹いてみたいと思うことはある。

 

*サンマルコ寺院はツィンク奏者にとって重要なレパートリーを残した作曲家や演奏家が音楽を担当していた教会。


でも、僕はその辺の「音楽なんか知らねぇよばぁろぉ!」みたいなオヤジと一緒に音楽を楽しめたら最高だなぁなんて思う。
もしも、何かの間違いで僕がサンマルコ寺院で演奏するようなことがあったら、そんなオヤジにいっぱい来てほしいなぁw
肩ひじ張らずに、難しいこと抜きにして楽しみたい。

 

それが正しいとか、そういうことじゃない。
ただ、何にでも権威を求めたり、本流でなければ認められない、といった価値観は好まない。

 

音楽は開かれたものであって、決して音楽家たちだけのものではないのだから。

 

だから、僕はオヤジたちと音楽を楽しめたら、それは至高の喜びだと思う。

 

いや、、無論、美女であることに越したことはない。
むしろ、頼むから美女に囲まれて演奏する機会を死ぬ前に一度、、、

 

音楽はそこら中に溢れていて、取るに足りないからこそ価値がある。

 

特別なものじゃない。
権威を与える必要なんてない。

 

そうでないと、音楽は大切な価値をひとつ失うのだと思う。

 

音楽家の価値。

本流にいないと認められないとか、それがすごいとか偉いとか、そういった条件みたいなものが、僕はあまり好きじゃない。


例えば、演奏の上手い下手はある程度区別できるとしても、その活動自体には優劣は付けられない。
カーネギーホールで演奏したと聞いたら、なんかすごいと思ってしまうみたいな。


いや、確かにすごいことだよ?

 

歴史的演奏が繰り広げられてきたわけだから。
偉大な音楽家たちが立った同じステージで演奏できるのはすごいことだと思う。


でも、それで音楽家の価値が変わるかと言えば、そうじゃない。
いくらカーネギーで演奏したからと言って、その音楽が素晴らしいとは限らないから。

 

これは、もしかしたら、その辺の消防隊員の中にウサイン・ボルトより足の速い人がいるかもしれない、くらいの話かもしれない。
ただの概念論にしか過ぎないのかもしれない。

 

でも、本当の価値というのは、ボルトが獲得したメダルの数々にではなくボルト自身にあるってこと。

 

音楽家も同じ。


どこでどんな勉強をして、どんな人たちとどんな所で演奏したのか。
そんな事で音楽家の価値は判断出来ない。

 

自分が何に価値を見出し、どう生きるのか。

 

それは、自分以外の誰にも変えることの出来ないことだし、誰かに決められていいことではない。

 

自分以外の誰かを評価する時だって同じ。
その人が何をしたかではなく、どういう人間か。
何を持っているか。

 

経歴や功績は、それを知るための手掛かりでしかない。
それ自体に価値があるわけではない。

 

 


つまりは、そういうこと。

 

 

 

ちっぽけなツィンク奏者は、そう自分に言い聞かせるわけです。

 

 

 

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