自由でいるということ。音楽家の生き方。
音楽家って自由なの?
音楽家って一般的に思われているほど自由じゃない。
「好きなことやってて羨ましい」と言われるかもしれないけど、やりたくないこともたくさんある。
周りの尊敬する音楽家たちは、すごく生き生きしているけれど、その影では多くのことを犠牲にしながら努力に努力を重ね忍耐を強いられている。
人によっては大して音楽が好きじゃなかったりすることだってある。
出来るからやってる、というスタンスの人たち。
色んな人がいるから一概には言えないけど、音楽家だからといって会社員よりも自由かというと、そう簡単には言い切れないのが現実だ。
そもそも自由って何よ?
自由って聞くと、なんとなく開放感があって心地の良いイメージがある。
大自然の中で胸いっぱいに空気を吸い込んでみたり、カラオケで喉が枯れるまで歌っても明日の心配をしなくていい金曜日だったり、ビーチでサマーベッドに横たわりながらカクテルじゃなきゃ美味しそうにも見えない色のドリンクを飲んだり…
きっと、それは間違ってない。
何にも縛られず、気の赴くままに何でもしたいように出来る。
誰もが魅力を感じる”自由”そのものだ。
でも、自由って本当にそれだけだろうか?
”自由”な生き方
自由な生き方って言うと、さっきまであれだけ魅力的だった“自由”が、急に胡散臭く感じられた人も少なくないのではないだろうか。
確かに、わがままで、身勝手で、責任を放棄したかのような感じもする。
実際のところ、そういう生き方をしている人もいるだろうし、表面上は自由奔放な生き方をアピールしているという人もいるだろう。
責任を果たさない、何にも縛られない生き方が出来るとは考えにくいけど、やたらと自由がどうだとか言う人が増えたように思う。
現代版ヒッピー
ネット界隈では、特にこの“自由”な生き方をアピールする人が多い。
ネットというのは、リアルでは吐き出せない考えや欲望を吐き出したり、リアルで関わりが持てない人のコミュニティとしての役割も果たしている為、不自由を感じている人が集まりやすいのかもしれない。
現代社会の生み出した不自由から逃れようと、多くの人が生き方を模索している。
そこで、ブロガーやYouTuberを始めとするフリーランスな働き方が注目を集めることになる。
しかし、彼らは決して社会の枠組みから外れた訳ではないし、責任から逃れた訳でもない。
彼らはヒッピーではないのだ。
それでも、彼らのような一見“自由”に思える生き方に、多くの人がヒッピー的な何かを見ている。
フリーランスで活躍する彼らは、人々にとっての幻想の中での“現代版ヒッピー”なのだ。
それでも、やっぱり音楽家は自由
ブロガーやYouTuber、そして、音楽家ももちろんだが、責任を放棄することは出来ない。
結局のところ「何が大切か」だ。
その人にとって音楽をすることが何よりも大切ならば、その人は音楽をすることで自由になれる。
会社員だってそうだ。
その人にとって、家族を養うことが何よりも大切ならば、その人は家族を養うことで自由になれる。
ある人にとっては、生き方そのものが大切なテーマかもしれないし、自分の能力活かすことが大切なのかもしれない。
娘と遊ぶことかもしれないし、友達とお酒を飲みながら語り合うことが大切だって人もいるだろう。
それぞれの「大切」が出来る限り邪魔されないこと。
その「大切」なことの為に責任を果たす。
そういう意味では、やっぱり音楽家は自由だ。
そして、自由でなければいけないのだ。
てか、ビーチなんて言葉初めて使ったで…なんかはずいな…