ひろしコンフォーコ

ツィンク奏者が物知り顔であれこれ語ろうとするものの、ちっとも上手くいかないブログ。

クリスマスの物語。ハリー・ポッターの暖かな思い出。

僕は、あまり良い育ちじゃない。というのは控えめな言い方で、本当は貧乏ったれな、世の中でも割りと底辺に近い母子家庭で育った。中学校からは父と一緒に暮らすことになるんだけど、今回は僕が小学生の頃の話。

 

記憶がない

実は小学生の頃の記憶があまりない。言われたら思い出すけど、それくらい。断片的にしか思い出せない。音楽との思い出はよく覚えてる。

普段、どんなものを食べてたのかも覚えていない。母が料理していた姿すら思い出せない。まさか、作ってないなんて事はないんだけど、何故か思い出せない。大したものは食べてないはずだけど。

おふくろの味ってどんなだろうか。親戚の家でよくカレーを食べさせてもらった。それが僕にとってのおふくろの味なのかな。

 

母が消えた

6年生の頃、いつの間にか母が帰って来なくなった。どこに行ったって言ってたっけ。前後の記憶が曖昧だけど、確か、名古屋に同窓生に会いに行くって言ってたのは覚えてる。

よく考えてみたら名古屋って遠い。その時、僕は母と兄の3人で天草(熊本県)に住んでいたんだから。そんなお金があったんだろうか。

帰って来なくなったのはいいとして、僕ら兄弟はどうしてたんだろうか。ご飯は?母を心配しなかった?

うん、母を心配した記憶はない。少しくらい何か思ったかもしれないけど、多分、心配はしてない。

あ、そうだ。近所の人が僕らの事を心配してくれたんだった。母から連絡があったのか、何で知ったのか分からないけど、なにせ、その人は僕らを心配して、ご飯作ってくれたりした。その人に「あんた達お母さん心配じゃないの?」って聞かれて、「あ、そういえば……」と、その時やっと何か考えた気がする。

母が消えたのに、そんなことすら曖昧な記憶しかない。当時も大したことは考えていなかったと思う。

 

本当に帰って来なくなった母

それから数日たっただろうか。とりあえず、母は帰って来た。それから、しばらく一緒に過ごしただろうか。覚えていない。

でも、また出て行くことになった。再婚して男の人と一緒に住むことにしたから、と。

名古屋に行っていたのも同窓会とかそんなんじゃなくて、その再婚相手に会いに行ってたとか、そんなんだったと思う。これについてはある程度記憶があるけれど、断定するほどの自信はないから、これくらいの表現に留めておく。

そして、母は名古屋に消えた。

 

親戚の家へ

幸い近くに、すごく良くしてくれる親戚が住んでいたから、僕は兄と二人でお世話になることになった。初めの日に、おばさんが言ってくれた事はまだ覚えている。

 

「お母さんって呼んでいいからね」

 

とても心配そうに、暖かな目でそう言ってくれた。あれは夏休みに入る頃だったと思う。

結局、お母さんって呼ぶことはなかったけれど、おばさんの顔を見る度に、その言葉が頭の中に響いた。とても嬉しかった。

 

兄は大阪へ

夏休みが終わり、しばらくすると、兄は一人で父のいる大阪に引っ越した。僕も一緒に行くか?って聞かれたけど、僕は断った。あまり悩みもしなかったと思う。その時、そこで奏でる音楽が楽しかったからだ。それに、レベルも高かった。中学生に上がってもそういう環境が用意されていた。僕は、音楽の為に残ることにした。

結局は中学生になるのに合わせて大阪に引っ越すことにしたんだけど、理由は忘れた。大した理由はなかったと思う。確か、卒業のぎりぎりで決めたんだ。多分、思い付きだろう。

そんなこんなで、9月からは一人で親戚の家にお世話になることになった。

 

クリスマスコンサート

親戚の家は教会で、おじさんが牧師だった。おじさんには、僕のはとこに当たる息子がいた。僕より6つ上で、当時まだ高校生だった。

教会には他にも若い人が少しだけいて、みんな音楽が大好きで楽器をやっていた。僕は今も音楽をやっているけれど、実は、はとこから受けた影響は少なくない。それは、ここだけの話だけれど。

それで、どんなきっかけかは忘れたけど、クリスマスにコンサートをすることになった。それも、コンサートだったのか、クリスマスのキャンドルサービスだったのかは、記憶が曖昧。でも、キャンドルサービスもしたと思う。まぁ、どっちと言っても良いような内容だったと記憶している。

僕はトランペットを演奏した。小学生の割にはそこそこ吹けたみたい。もっと上手い人はたくさんいたけれど、悪くはなかった。トランペットも今は吹かなくなったけど、10歳の頃から2年前くらいまでは吹いてた。トランペットは大好きだった。今もそれは変わらない。

そんな大好きなトランペットを演奏出来るのは、幼い僕にとって何よりの喜びだったから、このクリスマスコンサートはすごく嬉しかったし、楽しかった。

今でも、それは覚えている。

 

思いがけないクリスマスプレゼント

母は身体障がい者で、良く市役所の人にお世話になっていた。住むところも相談に乗ってくれたらしい。借金もあったから、それを返すのにもお金のやり繰りとか手伝ってくれたみたい。まだ子供だったから詳しいことは教えてもらってないけど、チラッと誰かがそんなことを言っていた記憶がある。とても良い人だ。

ところで、僕はクリスマスプレゼントってものを貰ったことってほとんどない。母もくれたんだろうけど、あまり覚えていない。友達も少なかったから、クリスマスパーティなんて行ったこともないから余計かも。だってクリスマスパーティって、プレゼント交換とかするんでしょ?テレビでしか見たことないから知らないんだけど。

そこで話は戻るんだけど、クリスマスコンサートにその市役所の人が来てくれたんだ。コンサートが終わって声をかけられるまで、気が付かなかったんだけどね。

きっと、家族から一人離ればなれになってた僕を心配して来てくれたんだと思う。何か話したんだけど何を話したかな、当たり障りのない会話だったと思う。

 

その人がくれたんだ、僕に。

 

クリスマスプレゼントを。

 

 

僕はそれが心底嬉しくて、涙が出そうで。でも、僕ってそういう時に限ってすぐに感情が湧いてこないから、きっとすっごい薄いリアクションだったと思う。もしかしたら、飛んで喜んでたかもしれないけど、そこはまた記憶が曖昧。

でも、とにかく嬉しくて嬉しくて。早く開けたくてその場で開けたんだっけ。うん、多分そうだった。

でね、開けてみるとね、ハリー・ポッターだっんだ!賢者の石!僕はその時、ハリー・ポッターの存在を知らなくって、一瞬「これなんだ?」と思っちゃったんだけど、見るからに素敵そうなその本に見惚れてたのを覚えてる。

コンサートのあれこれが終わってから急いで部屋に戻って、すぐに本を取り出して読んだんだ。これが面白くってねぇ。たまらなかったよ。部活か何かで日中は読めなかったんだけど、毎日寝る前に深夜まで読んで、読むのが遅い僕が4日で読み切っちゃった。

それからも、気が向くと本を開いたし、続編もお小遣い貯めて買ったし、本当に大好きだった。何度も心躍る夢のような体験をさせてくれた。

こんな素敵なクリスマスプレゼントは他にはない。その人がくれたのは単なる本じゃなく、ひとりぼっちだった僕に、優しさと愛情と、素敵な体験と思い出と。

僕にとって、どんなものよりも大切なクリスマスプレゼント。

 

僕の小さなクリスマスの物語。

 

 

 

 

 

 

ハリー・ポッターと賢者の石 (1)

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