ひろしコンフォーコ

ツィンク奏者が物知り顔であれこれ語ろうとするものの、ちっとも上手くいかないブログ。

森山広という人間。幼少期編

1989年、兵庫県尼崎市生まれ。実際には生まれ落ちただけで住んでいたことはないが、同じ出身地のダウンタウンにあやかっているだけである。

幼少期は大阪府摂津市横山やすし邸すぐ近く町で過ごすが、7歳の頃に天草四郎に憧れ、単身で熊本県天草市へ。本当の理由は親の離婚だが、説明が面倒なので、単身で海を渡ったというカッコイイ言い訳をさせてほしい。

初めて話した言葉は

 

「アインシュタインを抹殺せよ。そうすれば世界は変わる。」

 

であった。生まれながらにしての哲学家である。そして、天才である。

人間はみな、それぞれ見える世界が違っていて、異なる時間軸を生きているのだと悟ったのも幼少期であるからして、天才なのである。

しかし、歴史は苦手であった。なんたって、アインシュタインは僕の生まれる40年以上も前に死んでいるのだから!

 

音楽に初めて興味を持ったのもこの時期だ。幼い哲学者のハートを射止めたのは、ジェットマン。そう、鳥人戦隊ジェットマンだ!

入手経路不明のアニメソング集を、ラジカセガン見で聴いていた。家族に「そこで歌ってる訳ちゃうで」と笑われるも、こちとら天才である。そんな事、百も承知でラジカセをガン見しているのだ。非天才の愚民である家族には、ラジカセをガン見する事が、そこから聴こえてくる音楽に集中するのに役立つと理解出来なかったのであろう。

天才とは常人には理解されにくいものである。

次第にジェットマンだけでなく、パプワくんやタルるートくん、きんぎょ注意報などといった、名作アニメの音楽の世界にハマっていくのであった。

 

意識はせずとも音楽は好きだったようだ。保育園で、ピアニカで演奏する小さな曲集みたいなものを貰ったことがあった。愚民どもが、その才能のなさにゆえに抗えない現実を目の当たりにし、悲しみに暮れている頃、僕はどんどんその曲集をマスターしていった。そんなに努力せずとも、すぐに弾けるようになったのだ。天才であるからして。

 

この頃の性格は、死ぬほどの負けず嫌いである。発作かと思うほど、ひどい負けず嫌いだった。一度、近くの友達と競争をしていて、負けることが分かった瞬間に泣き喚き、怒り狂った事がある。人類を滅ぼしかねないほどの怒りようだった。

いや、ここは素直に謝罪しよう。地球に氷河期を招いたのは他でもない、僕である。すまない。 

兎にも角にも、負けず嫌いで泣き虫だった。

 

可愛いエピソードも紹介しておこう。

5歳の頃、鶴見はなぽ〜とブロッサム(現三井アウトレットパーク大阪鶴見)に家族で行き、運命の出会いを果たす。

スヌーピーである。

ブロッサムの中央にある巨大スクリーンに映し出されたスヌーピーのアニメを、両親が買い物している間、夢中で観ていた。そして、見つけてしまったのである。スヌーピーのぬいぐるみを。帰り際にそれを見つけた幼い哲学者は、金縛りにでもあったかの様に、ジッとそのぬいぐるみを見ている。でも、買って欲しいと言える程の度胸がなかった為、何も言わずにただ見ていた。結局、痺れを切らした両親が買ってくれたのだが、数年後、衝撃の事実を知ることになる。

 

 

スヌーピーではなかったのだ!!

 

 

そう、僕が愛したスヌーピーはスヌーピーではなかった。スヌーピーの兄、スパイクだったのだ!!確かにずっと気がかりではあった。スヌーピーに髭が生えていることが。他のどこで見ても髭なんて生えていないのに、僕のスヌーピーには髭がある。僕の背中には羽、ではない。僕のスヌーピーには髭である!

 

なんてこった!!!!

 

しかし、何を言っても仕方がない。僕は髭が生えたスヌーピーを愛してしまったのだ。髭が生えてもスヌーピーはスヌーピーだ。いや違う!こいつはスパイクだ!と、何度もノリツッコミをしながら過ごすことになったのだった。

 

 

これが、ツィンク奏者の幼少期である。 

 

 

 

物語は、まだまだ続く

 

 

※100億割増しで脚色してます(@_@) しかし、アインシュタインの下りは脚色ではなく嘘です。