ひろしコンフォーコ

ツィンク奏者が物知り顔であれこれ語ろうとするものの、ちっとも上手くいかないブログ。

売れるまでは何でもやれ?ふざけるな!自由な生き方。

色々な考え方があるけど、自分の生き方は自分で決めるもの。今回は、一つの価値観で人の人生や活動を評価するってどうなのよ?ってお話。

 

売れてないものはダメ?

売れるまでは何でもやれ!仕事は選ぶな!って言うけど、僕はそうは思わない。

確かに、「売れる」為にはそれがいいのかもしれない。でも、「売れる」ことを目的としていないとしたら?どうして、この世の中は「売れる」ことが善で、それが全てかのような考え方が支配的なの?蔓延ってるの?

そりゃ好きなことでも何でも、その活動に時間を割こうと思えば、ある程度収入に繋がる必要はある。でも、それが全てか?お金になければその活動には価値がないのか?お金が全ての価値を決めるのか?全ての価値は本当に数値化出来るのか?どうやったらそんな狭い視野を持てるのか不思議でならない。

もし仮にだ。時間を充分に割きながら他の事で食べていけるとしたらどうだろう。その場合は、他人の評価なんて関係なく自分のやりたい事に突き進んでいくことが出来るのでは?その活動でお金は生まれないけれど、自分の信念や根っこの部分にある動機に素直に従って活動していくことが出来れば、他人の評価を気にして活動するよりも、また違った価値が生まれる可能性はないだろうか。

 

他人の評価を求めない生き方

「売れる」=「成功」と考えられることが多いけど、成功とはなんだろう。お金を稼ぐことが目的なら、成功の第一条件は確かにお金だろう。でも、どれだけ稼いでも、やりたい事を全て諦めて信念も捨ててしまってたとしたら、それは何の為の成功なんだ?実に、下らない人生じゃないか。

そもそも成功って必要なのか?成功の為に生きてるのか?地位や名誉、お金は本当に必要なのか?その為に生きるのだとしたら、同時に多くの人の存在を認めないことにもならないだろうか。

僕はこう考える。

 

自分にとって大切なものの為に生き、その目的を果たせるか?

 

これが成功の条件だ。それが家族だって音楽だってスポーツだってなんだっていい。成功に他人の評価なんて関係ない。他人の評価を無視しろということではないけど、自分の生き方、自分の価値、成功は他人の評価と関係なしに成り立つということだ。

ロクに何も考えず世の中に垂れ流されている価値観に流されて、人を稚拙な価値観に押し込めるのはどうしてなんだ?どうして人の生き方にケチつけたりするんだろう。どんな意味があって人の人生を邪魔するんだろう。

僕には、お金の為に自分を捨てるなんてことは到底考えられない。そんなことしたら、生きてる意味がなくなっちまうじゃないか。僕は絶対に信念を曲げない。

「売れる」なんて下らないことの為に音楽やってるんじゃない。そんなことするなら死んだ方がマシだ。

そんなんじゃ食ってけないって?面白い。上等じゃないか。

そもそも、そんな考えは古すぎてカビが生えてるくらいだけど、いつまでも仕事は貰うものとか与えるものって時代じゃない。もちろん、今もそういうシーンはいくらでもあるし、これからもなくならないだろうけど、自分で生み出すことも出来る時代だ。やりたい事をやって、お金に結びつくように出来る時代。口で言うほど簡単じゃないけど、仕事も価値も自分で生み出すことが出来る。

だから、「売れる」までは何でもやれ!なんて思わなくていい。誰でも仕事は選んでいい。人に扱き使われる必要も、自分の信念を曲げたりする必要もない。

 

思うがままに生きればいいんだよ。思うがままに。