読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ひろしコンフォーコ

ツィンク奏者が物知り顔であれこれ語ろうとするものの、ちっとも上手くいかないブログ。

ツィンク奏者から皆様へ一年の感謝を申し上げます!

僕は、10歳になる頃に音楽を始めました。小学校4年生の頃です。吹奏楽部でトランペットを演奏していました。小学生なのにみんなすごく上手で、僕はその中で特に上手だった訳ではないけれど、そんなに筋は悪くないようでした。

始めてから1年もしないうちに、母に頼んでトランペットを買ってもらいました。ヤマハのトランペットです。僕はトランペットが大好きでした。トランペットを抱いて寝てしまったこともあります。そのトランペットとは、2年前にお別れするまで本当に色んなところで、色んな音楽を奏でました。彼との思い出は、今でも脳裏に焼き付いています。

その頃の僕の夢は、ウィーンフィルの首席トランペット奏者になることでした。なんだか、子供らしい夢ですよね。でも、僕は本気だったし、そうなれると信じていました。中学生になっても、高校生になっても、ウィーンへの憧れと世界に出ていきたいという夢は変わることはありませんでした。

でも、次第に気付きはじめます。自分にはそこまで卓越した能力はないこと。極々標準的な音楽能力しか備えていないことに。そして、何よりも大切な努力する才能が極端に欠如していることにも気が付きます。それでも、僕は音楽にこだわり続けました。否、しがみついていたと言った方が良いかもしれません。

時期を同じくして、体調に変化が現れます。18歳の頃だったでしょうか。精神状態が崩れ、心身ともに不安定な状態が続きました。少しづつ音楽が手に付かなくなっていきました。それでもなんとかやり続けるのですが、これほど、音楽をやる事が辛かった事はありませんでした。

そうこうしているうちに、今度は耳が悪くなってしまいました。耳鳴りがしたり痛みを覚えたりするようになりました。パチンコ店でのアルバイトがきっかけです。その頃は演奏会に聴きに行っても、オーケストラの音が耳に刺さり、痛みを覚えることもありました。夜はそれと反対に、耳鳴りがうるさくて眠れませんでした。僕の耳は静寂を失ったのです。

耳の事がショックだったことも影響があるのか、どんどん体調が悪くなっていきました。周囲の人間関係や音楽の悩みもありました。ほんの数日のことですが、一番ひどい時には、筆談でしか話せなかったこともあります。

たくさんの人の支えのおかげで、良くなったり悪くなったりを繰り返しながら、少しづつ少しづつ前に向かって歩けるようになってきました。今も療養中ですが、今ほど前向きに音楽に向かえてるのは小学生の頃以外にはありません。

2年前、僕はトランペットに別れを告げなくてはならなくなりました。耳がトランペットの音に耐えられなくなったこと、謎の不調で音が奏でられなくなったことがその理由です。全くと言っていいほど吹けなくなってしまいました。

その頃、ようやく運命の出会いを果たします。ツィンクとの出会いです。ツィンクとの出会い話はまた詳しく記事にしますが、僕の求めていた音楽と音色がそこにありました。謎の不調からまだ完全には抜け出せていないのですが、少なくともトランペットの頃のように音が出ないという事はありませんでした。師匠を始め、色んな方々の助けがあって、少しづつ吹けるようになってきました。

 

 

音楽を始めて17年が経ちました。その間、たくさんの出会いがあり、力強い応援もたくさん頂いてきました。今も昔も変わらず応援して下さっている方、知り合って間もないのに自分の事のように応援して下さる方、親身になって下さる方、サポートして下さる方。ここには書き切れないくらいたくさんの方が、たくさんの方法や形で応援して下さっています。どうして応援してくれるのか、僕には分かりません。きっと、みなさん変人なんだと思います笑 

今まで色々な事がありました。これからも、どんな事が待ち受けているのか分かりません。でも、僕はどんな事があっても音楽だけは辞めないでしょう。何度も音楽を辞めたいと思ってきた17年間でしたが、きっと、死ぬまで音楽を続けると思います。

今年一年だけみても、本当にたくさんの方々にたくさんのご迷惑とご心配をおかけしました。しかし、その度にみなさんからの応援があり、理解がありました。何度、その暖かな言葉に支えられたか分かりません。

一年間、本当に感謝しています。これからも、僕は僕の思うがままに、ただひたすらに音楽に向き合っていこうと思います。

 

みなさま、本当にありがとうございました!!

来年もよろしくお願いいたします!!

 

 

じゅわっ!!!!

 

 

※じゅわっ、とは、ウルトラマンが星に帰っていく時に発する言葉。つまり、「ではまた」の「では」の意味である。