ひろしコンフォーコ

ツィンク奏者が物知り顔であれこれ語ろうとするものの、ちっとも上手くいかないブログ。

ブログを休んで分かったこと。

ここ数日の間、風邪をこじらせてしまった為、記事を書くのを休んでいた。本当は休みたくなどなかったのだが、頭が働かないし、熱も悪寒も酷いもんだから休まざるを得なかった。

しかーし、図らずともこの休養のおかげで気付いたことがある。

今日はその辺について、いつもながらゆるーく書いていくことにする!印刷して家訓にでもするように!

 

それじゃー、いっちゃうよ!!

 

書くことに追われる日々

このブログは、書くのが好きで始めたことだ。

 

ツィンク奏者がブログを始めた理由 - ひろしコンフォーコ

 

この記事でも書いてるように何も目論見がないとは言わないが、楽しんで出来るだろうと思ったし、実のところ、僕はブログを楽しんでいた。書くことも、読んでもらえることも。もちろん、やっていく上で大変なこともあるんだろうことは、事前の調べからも、自分の性格の上でも想像はしていた。だから、単に予期していたことが起きたに過ぎないのだが、徐々に書くことに負担を感じるようになっていた。

原因ははっきりしている。これは、子供の頃から僕の中に根付いている“義務感”が成せる業なのだ。

どんなに好きな事であっても、「〜しなければならない」と考えた途端に気持ちが萎えてしまう。例えば、楽器の練習なんかでもそうだ。

 

「今日は何をすべきか」

「高い音が苦手だから改善に取り組まないといけない」

「上手くなるにはもっと練習すべきだ」

 

これでは、自分のやりたいことをやるのにも関わらず、「本当はやりたくないのにやらなければいけない」とでも考えているようだ。僕は、自由に好きなことをやりたいと思いながらも、義務感によって自分自身に不自由な生き方を選択させ続けてきたのだ。そして、「やるべきこと」が出来ないと罪悪感を感じてしまうという悪循環に陥るのである。まったく皮肉な話だ。

これは現在進行形の話で、ブログを書くのにも無意識に適応させている。それが足かせになり、書くことに負担を感じたりしてしまったのである。

 

休まらない頭と身体

僕は、意図的に休むということが苦手だ。やり出したら止まらないし、出来ない時には、さっきも書いたように罪悪感を感じたりと、常に何か考えているのである。それは全く文字通りのことで、朝起きてから夜寝てしまうまで考え続けているということは、少しも珍しくない。というか、むしろそういうことの方が多い。僕の脳みそはいつもフル回転なのだ。

これは、結局何もしていない時でも休まっていないということでもある。これに気が付いたのはほんの数年前で、それから出来るだけ意図的に休もうと工夫しているのだが、これがなかなか上手くいかない。というのも、僕は、休むということにあまり良いイメージがない。さっきの話にも繋がるのだが、どこか罪悪感みたいなものだったり焦燥感を感じるのだろう。休まなければもっと前に進めるのに、休むことで足踏みすることになってしまうんじゃないかと考えてしまうのである。

しかし、そんなことはいくらなんでも非現実的だ。“継続は力なり”とは言っても、“休んではならない”とは言っていないのだ。

“やればやるほど上達する”というのも、その通りかもしれない。しかし、疲れを無視することで不調を招く。

 

“継続”にも“上達”にも休息が必要なのだ。

 

自由へ

今回、風邪を引いてブログを休んだ訳だが、これも例に漏れることなく、僕が罪悪感に苛まれるには充分な原因になった。だから、始めはなんとか書こうとしたのだが、体調が悪くて作業がなかなか手に付かず、結局書くことが出来なかった。

しかし、イチイチこんなことで罪悪感を感じたり頭を悩ませるのは時間がもったいないし、何よりもバカバカしい。だから、その日の夜に、体調が良くなるまでは何も考えずにゆっくり休もうと考え直した。すると、気持ちも楽になり、それだけで幾分かは体調がマシになったような気がした。

不思議なことに、体調が良くなるに連れて、魔女の宅急便のキキがスランプから脱するかの如く、書きたい気持ちが湧き上がってきた。

書くことから離れたからこそ生まれた感情。

それまでは、書きたいということが特別だと思ったことはない。それはあまりに日常的なことで、書きたいと思っていることすら自覚していなかった。

結局のところ書くことが好きだということなのだろう。何かを発信することもそうだ。単に目立ちたいとか、有能感とか、承認欲求とか、そういう下らない類の欲望に裏付けられたものなのかもしれないが、好きであることに違いはないし、何も悪いことをしているのではない。

そして、好きである限り、どれだけ義務感やそれに連なって生み出される罪悪感や焦燥感に邪魔されようとも、自由に書ける可能性がある。義務感を介さずに、書きたいから書くことが出来るのだ。

 

そんなこんなで、これからも好きなように書きたいことを書いていこうと思う。

 

僕にとって、自由でいるということはとても大切なことなのだ。

 

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