絵本「えんとつ町のプペル」が無料に?! キングコング西野の「お金の奴隷解放宣言」に反論!!
何かと注目を集めるお笑いコンビ、キングコングの西野さんですが、今朝、自身のブログにて衝撃的な発表しました!!!
今日をもって、『えんとつ町のプペル』を無料にします。
ふぁぎゃっっっ!?!?!?!?
マジかよ!!!!
すっげぇな!!!!!
以下がその記事。
キングコング 西野 公式ブログ - お金の奴隷解放宣言。 - Powered by LINE
西野さんは絵本作家でもあるんだけど、その彼が製作した絵本「えんとつ町のプペル」を無料で公開すると言うのです!その理由として
《自分は『えんとつ町のプペル』を子供にも届けたいのに、たった「お金」という理由で、受けとりたくても受けとれない子がいる。》
と言っているのですが、
「2000円は高い。自分で買えない」
という小学生からの意見が事の発端なんだとか。
こう聞くと、なんとも美しい話じゃないかと、つい涙ぐんじゃいますが、本当にそうでしょうか? もちろん、彼は善意で決断したんでしょう。悪意がないだろうことは記事を読めば分かります。
それでも、これによって起こる弊害があることも、ぜひ知ってもらいたいと思います。
資本主義の話
ハッキリ言って、作品を無料で提供するという事はあり得ません。災害時などの特異な状況下でもなければ、本来あってはいけないことです。
何故か。
世の中が資本主義で成り立っているからです。
資本主義で成り立っているということは、生きていくのにはお金がかかるということ。何を買うにもお金が必要。水を飲むのに蛇口をひねればお金がかかる。それが、資本主義の仕組みです。
要は
価値(モノやサービス)にお金を払うということです。
価値とそれに見合うお金を交換して、その価値を手にするということ。
お金はどんな価値とも交換が出来る便利ツールなんですね。僕らは、こういった仕組みの中で生活している訳です。
お金がない人は何も買えないのかって?
残念ながらそういう事になります。それを防ぐ為に、セーフティネットを構築したりして、みんながなんとか食べていけるように工夫してるんですが、それでも食いっぱぐれてしまう人もいます。これはこの社会の課題ですが、働いててもお金にならないというケースもあります。
価値を生み出しているにも関わらず、それに見合うお金を貰えないでいる人たちです。
さっきと言ってることが違うことに気が付きますよね?
価値に対してお金を払うってことは、価値を生み出せばお金を貰えるってことじゃないの??
それなのに何で??と。
対価を払わない人たち
例えば音楽。
世界中の、本当に多くの人が音楽に価値を認めています。しかし、どうやら音楽に対してお金を払う事には抵抗があるようです。
オーケストラコンサートの価格も最近は少し見直されてきましたが、3,000円で一番良い席が買えるなんて事も珍しくありません。
オーケストラ団員って何人いると思いますか? 平均的な編成のオーケストラだと、一回のコンサートで少なくても50人は出演します。団員の給料もそうですが、指揮者の給料はかなり高いです。会場費や宣伝費もかかります。裏方さんもいます。リハにもお金がかかります。お客さんが1,000人入ったとしても、チケットが3,000円だと300万円にしかなりません。
これじゃー、ちっとも足りません。月に何回コンサート開けばいいんでしょうか。企業や個人のスポンサーがいるからこそなんとかやっていけますが、スポンサーの支援がいつ切れるか分かりません。
音楽家にとって一番大切なのは、一緒に時間を過ごしてくれるお客さんです。そのお客さんにこそ価値を認めて頂けるように頑張るのですが、価値を認めてもそれに見合ったお金を払うのに抵抗を示す方も少なくありません。これは、スポンサーや依頼主にも同じことが言えます。
こんな依頼主がいます。
「出演料?交通費?いる?」
まさかそんな事言う人いないでしょwと思われるかもしれませんが悲しいことに結構いるんですよ。正直、アホか、と思いますね。
こういう発言をする人は、明らかに音楽に価値を認めています。価値がないと思っているのなら依頼する意味が分かりませんから。多かれ少なかれ価値は認めているはずです。でも、お金は払いたくないと。ひどい時は誤魔化してでもお金を払うことを逃れようとします。
音楽をするのにも必要経費というものがありますし、必要な経費が賄われても音楽家が演奏しなければ音楽は奏でられません。そして、音楽の演奏は専門技術です。ということは、必要経費+出演料というのは、資本主義に則るならば当然支払われるべきお金です。
作品を無料にするのは大問題?!
そこで、西野さんの話に戻りますが、どうして作品を無料にするのが問題になるのでしょうか。
それは、彼のように影響力のある人間が作品を無料にしてしまうと、それ自体が素晴らしいこと、美しいことだと勘違いしたり、芸術作品が無料であることが普通だと思ってしまう人が増える事にあります。
ライバル店が値下げしたらこっちも値下げせざるを得なくなるのと同じです。
「向こうではもっと安かったで?」と。
もちろん、適正価格よりも高いのであれば、値下げもいいでしょう。でも、一部の超売れ売れ過ぎっ子以外は、適正価格よりも随分安値で仕事させられている事が多いのが現状です。そんな状況の中での西野さんの発言。
そう考えると、一見美しく思えるこの話にも大きな問題があることが分かって貰えると思います。
西野さんも、何もそうなることを望んでいる訳ではありません。
《自分は『えんとつ町のプペル』を子供にも届けたいのに、たった「お金」という理由で、受けとりたくても受けとれない子がいる。》
双方が求めているのに、『お金』なんかに「ちょっと待った!」をかけられているのです。
お金を持っている人は見ることができて、
お金を持っていない人は見ることができない。「なんで、人間が幸せになる為に発明した『お金』に、支配され、格差が生まれてんの?」
と思いました。
そして、『お金』にペースを握られていることが当たり前になっていることに猛烈な気持ち悪さを覚えました。「お金が無い人には見せませーん」ってナンダ?
糞ダセー。…いや、モノによっては、そういうモノがあってもいいのかもしれません。
しかし、はたして全てのモノが『お金』を介さないといけないのでしょうか?
要約すると、おい!資本主義!!って事です。資本主義に物申してる訳です。それは記事のタイトルからも分かります。お金のせいで格差が生まれたり必要な人にモノが届かないことを嘆いている。その点には共感します。今回の絵本の無料化に賛同する人たちも、多くはこの点に共感したのでしょう。
僕も、本当に何が良いのかは分かりませんが、お金というものが阻むものってすごく多いので、資本主義も限界なのかな、なんて思うこともあります。
でも、西野さんの言う「お金の奴隷解放宣言」は資本主義の上には成り立ちません。
価値に対してお金を払うのが資本主義です。
生きていくのにお金が必要なこの制度の中で作品を無料化してしまうと、恩恵を受ける人がいるのも確かですが、食いっぱぐれる人が大勢出てしまうのです。
この世の中はお金がないと何も買えません。
生きていけません。
だからこそ西野さんは「お金の奴隷解放宣言」という記事を書き、作品を無料にしたのでしょうが、その行動のおかげで良い思いをする人もいれば、致命的なダメージを受ける人もいる。お金がなくて読みたくても絵本が買えないのもかわいそうですが、多くのクリエイターや芸術家の収入や活動に支障が出るのも大きな問題です。
いまが資本主義だという事を考慮した上で、決断すべきだったのでは?
12歳以下は半額にするとか、図書館や学校に寄贈するとか、Kindleで安く提供するとか、出来る事はたくさんあります。お金がない人にも絵本を届けたいというだけなら、いくらでも方法はあるじゃないですか。
西野さんは人も良いし、問題意識にも共感はするけど、ちょっと考えが足りなさ過ぎたのではないでしょうか?
最後に。
これは僕の価値観ですが……
しかし僕は、『10万部売れるコト』よりも、『1億人が知っているコト』の方が遥かに価値があると考えます。
1億人を楽しませることができたら、その瞬間は1円にもならなくても、後から何とでもなると思っていますし、なんとかします。
僕は、1億人が知っていることよりも、10万人、いや、たった10人が価値を認めてくれることの方が遥かに嬉しいです。
引用の後半を読めば、1億人はみんな楽しんでくれたってことが前提になってるので、ちょっと話ズレてるんですけどね。でも、お金がないと生きていけないこの世の中で、楽しむだけ楽しんで知らんぷりする人よりも、ちゃんと価値を認めてくれて応援してくれる人の方が尊いです。
何でも金かぁ!金がほしいんかぁ!
そう思う人は結構。僕はお金がほしいのではなく、お客さんの喜んでくれる、その笑顔です。みんなで一つの事を共有して味わえるって最高じゃないですか!でも、ルールはちゃんと守りましょうよ、と言っているのです。
価値を提供する→価値に対してお金を払う→もっと頑張ってそのお金に見合う価値を提供する→価値に対してお金を払う→さらに頑張る!
それがこの世の中のルールなんです。
そう、僕らは芸術家やクリエイターはお金の為に頑張ってる訳ではありませんが、価値を認めて貰えればさらに良いものを作ろうと頑張れるんですね。お金があるからこそ次に繋がるんですから。
芸術家やクリエイターが頑張って良いものを作ると、それを通してみなさんももっと楽しい体験が出来る。そうやって、お互いに良い思いが出来るんです。
そういったwin-winな循環関係も良いもんですよ?