僕は幸せという概念を捨てた。
僕らは、いつどこで覚えたのかも分からない言葉に翻弄されている。幸せというものの正体も分らないままに。
幸せって??
「幸せの意味なんてそれぞれの価値観で変わる」
「幸せは自分で決めるもの」
よく言われるこれらの言葉には一定の真理がある。でも、それでも幸せから溢れる人はいる。自分で幸せを決められるのにも関わらず。
幸せの基準やあり方、その価値観を変えたところで自分の決めた“幸せ”からもはみ出てしまうのだとしたら、それは単に幸せになれないよりもずっと不幸なんじゃないか。
より多くの人が幸せに近づく一方で、より不幸な人も生み出してしまう。
そもそも幸せってなんだ?
幸せになった方がいいのか?
そんな必要があるのか?
幸せが不幸をつくる
幸せになりたい。
それ自体はなんら問題のない感情。
誰だってそう思うし、少しでもいい人生を送りたいじゃないか。
でも、表があれば裏もある。幸せがあれば不幸もある。
僕らは、幸せになりたいと思ったその瞬間に不幸を生み出し、現時点での不幸を認めることになる。
幸せになりたいと思ってるうちは幸せにはなれないということでもある。
人間が幸せになりたいと思ってしまったのは不幸なことだ。
幸せの正体も、幸せになる必要性も、不幸が悪いことなのかも分らない。そんな中で、僕らは幸せという得体の知れない魔物に憑りつかれている。
不幸な人生
僕は、人生が幸せなものだと思ったことはない。多分、一度も。
二十歳そこそこまでは、「幸せか?」と聞かれれば「いや・・・」と口籠らせた。
実際、僕はいつも何かに頭を悩ませ、しかめ面していた。
自分という人間にうんざりしていたし、こんなのと死ぬまで一緒にいないといけないと思うと心底悲しかった。
僕はあまり人に好かれるタイプの人間じゃないが、僕ほど僕を嫌っている人間はいなかった。
いつも空虚で、不幸だった。
いつこの霧が晴れるのだろうと淡い期待を持ちながらも、そんなうまい話はないと諦めていた。
音楽がなければ今頃どうなっていたかしれない。
それくらいに、僕は自分にも人生にもうんざりしていた。
魔物退治
ある時、敬愛するアレッサンドロ・バリッコの戯曲『海の上のピアニスト』のある一節が目に留まった。
夢に蝕まれて、ぼくの魂はボロボロになりそうだった。夢に向かって歩めばよさそうなものを。ぼくにはそれができなかった。
だから、それらの夢を凍結することにしたのさ、魔法をかけるように。
こうして、ひとつひとつ、夢を捨ててきた。幾何学的作業、完璧な。
~中略~
そして、きみがここに入ってくるのを見たとき、ぼくは喜びに別れを告げ、そいつも凍結した。友よ、これは狂気なんかじゃない。幾何学だ。周到に計画された道路工事さ。こうして、ぼくは不幸を骨抜きにした。ぼくの人生を夢から解放したんだ。
この部分には色んな反応があるだろうが、僕は深く共感した。
そして、僕はこう思った。
幸せという夢を凍結し幸せから自由になればいいんじゃないか、と。
幸せから自由になれば不幸からも自由になれる。
こうして、僕は幸せという概念を捨て、自由になった。
『海の上のピアニスト』は映画が有名だが、元は一人芝居の為に書かれた戯曲だ。
ぜひ、原作を読んでみてほしい。
- 作者: アレッサンドロバリッコ,Alessandro Baricco,草皆伸子
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