ひろしコンフォーコ

ツィンク奏者が物知り顔であれこれ語ろうとするものの、ちっとも上手くいかないブログ。

【レポ】「福盛邦彦 リコーダーリサイタル」を勝手にレポ。オルガニスト冨田一樹作曲の初演曲もレポ。

2月12日、関西の若手リコーダー奏者、福盛邦彦氏の自身初となるリサイタルに行ってきた。
ピアニストの小野文氏とのコンビによる演奏だ。

当初、お昼だけの予定だったこの公演は、予約多数の為、同日の夜に追加公演が設けられ初リサイタルでありながら2回公演となった。
筆者は夜の公演に伺ったが、小さな空間ではあるものの席はいっぱいであった。

 

一つ注目なのは、昨年とあるコンクールで世間を賑わせたオルガニスト冨田一樹氏だ。彼の作曲した曲が初演されたのである。それについては後ほど詳しく。

 

どうでもいい情報ではあるが、福盛氏とは中学時代からの友人(当社調べ)であるからして少々辛口なコメントになる恐れがあるが、出来る限りフェアに彼の奏でた音楽について書いていこうと思う。

 

覚悟しろよ!!友よ!!!w

 

目次

 

近現代の英国人作曲家を中心としたプログラム

クラシック音楽に詳しい方であれば、リコーダーと聞くとヘンデルやテレマンといった、いわゆるバロック音楽を連想される方が多いかと思うが、実は近現代でもリコーダーの為に書かれた曲というのは多数存在する。
さすがに筆者も、初リサイタルとなればバロック中心の公演になるのだろうと予想していたが、いい意味で期待を裏切られた。

今回は、英国の近現代作曲家が中心のプログラムである。

以下、プログラム詳細。

 

前半

ハーバート・マリル Herbert Murrill
『アルトリコーダーとピアノのためのソナタ』

ゲオルグ・フィリップ・テレマン Georg Philipp Telemann
『無伴奏フルートのための12のファンタジー 第2番 ハ短調(イ短調)』

ゴードン・ジェイコブ Gordon Jacob
『アルトリコーダーとチェンバロまたはピアノのためのソナチナ』

後半

武満徹 Toru Takemitsu
『ピアノのための雨の樹素描Ⅱ~オリヴィエ・メシアンの追憶に~』

マルコム・アーノルド Malcolm Arnold
『リコーダーとピアノのためのソナチナ 作品41』  

冨田一樹 Kazuki Tomita
『リコーダーとピアノのためのパッション』

ゴードン・ジェイコブ Gordon Jacob
『アルトリコーダーとチェンバロまたはピアノのためのヴァリエーション』

 

前半の感想

全体的にスッキリとまとめられている印象。
イタズラに劇的な表現はせず、和声的特徴や旋律の動きと流れを正確に把握して表現されていた。曲に対する理解度の高さが窺える。
そして、やはりアンサンブル能力が高い。これは彼の大きな武器であるが、ソロでもそういった強みを活かしているのは素晴らしいことだ。

 

それは一曲目のマリルから良く表れていた。途中、少々スロースターターかという印象を受けたのも事実だが、明確な表現は好印象。聴いている側にも意図が伝わる表現というのは、実は案外難しいものだし、出来ているように見せかけて、勢いで誤魔化していたり暴力的だったりすることは良くあることだ。

 

テレマンの無伴奏はさすが。リコーダー奏者にとっての一つのホームグラウンドだからか、安定感のある演奏だった。曲はフルートのためのものだが、今回はもちろんリコーダーで。
近現代の音楽ばかりに囲まれると、却ってこういう曲が印象に残りやすい。バロックの演奏家としてそういうことを意識したのかは分からないが、この選曲は正解だろう。

 

次にジェイコブだが、こちらは少しあっさりさせ過ぎたかなと思う。もう少し劇的な表現を積極的に使ってもいい場面はあると感じた。その方がメリハリが付けやすい曲だと考えるからだ。彼自身は、安易な発想で劇的に演奏するのは好まない奏者だが、それをすべきシーンはわきまえている。それを考えると、今回はたまたま上手くいかなかったのか、別の解釈をしたということなのだろう。
しかし、まだ序盤だ。始めからギアを入れすぎるのも良くないという考え方もあるのかもしれない。

 

後半の感想

武満はピアノソロでの演奏。非常に印象的な演奏だった。多少、ルバートの扱いが曖昧になる部分もあったが、それが気にならないほど一つ一つの音を丁寧に描かれていて、聴衆も大満足の演奏だった。あえて言うなれば、日本的な音の紡ぎ方だと感じた。武満が日本人だからそう言う訳ではないが、玉響な時の流れに耳を傾ける心地よい空間がそこにはあった。

 

アーノルドで再び主役の登場。

ここまで息のあったアンサンブルを聴かせてくれてた二人だが、この曲では少し乱れがあった。普通ではほとんど気にならない程度ではあるが、曲の解釈の違いによるものだろうと思う。音をどう処理して次の音に向かうのか、といったことがアンサンブルを乱すことがある。今回見られたのはそういう類のものだと考えていいだろう。
しかしながら、この曲の持つ旋律の美しさを如何に表現するのか、といったところはさすが良く解釈されていて、アーノルドの特徴的な旋律がしっかりと印象に残る演奏だった。

そして、最後のジェイコブ。

これが一番完成度が高い演奏だった。ピアノパートの表現も主役に負けない明確な表現で、メリハリを付けた演出。
これまでも福盛氏の演奏を聴いてきた身としては、彼はこういった変奏曲が得意なのだと思う。一つの旋律が変化していくのをどう料理するか、といったセンスがあるのだろう。というのも、彼は旋律に関する分析が明快で、その特徴を捉えて表現するのが巧いのである。まるで絵でも描くかのように、その輪郭と微細な変化を描くのだ。正直、憎たらしい(笑)
ソナタやコンチェルトもいいが、それよりもずっと変奏曲の方が彼の良さを引き出している。かと言って、変奏曲ばかり演奏するわけにはいかないが(笑)
そういう自覚があってかは知らないが、この曲を最後に持ってきたのは大正解と言えるだろう。彼の良さが充分に発揮された優れた演奏だったのだから。

 

作曲家 冨田一樹

冨田氏の名前を知っている人も少なくないと思うが、簡単に説明を。

彼は、昨年のバッハ国際コンクール オルガン部門で優勝し、日本人で初めてカール・リヒターに並ぶ快挙を成し遂げた若手オルガニストである。それまで全くの無名であったが、『情熱大陸』でも取り上げられ、その名を全国に轟かせることになった。
そんな彼は、大学時代から作曲や編曲の活動も行っており、筆者も作編曲を依頼したことがある。

 

それでは、今回初演となった冨田一樹作曲『リコーダーとピアノのためのパッション Passion for Recorder and Piano』について書いていこう。

 

まずは、演奏について。

曲の特徴を良く捉えた非常に良い演奏だった。繰り返し登場する主題となる旋律の扱いも柔軟で、曲の流れや和声による印象の変化が充分に表現されていた。
主題以外の部分で、もう少し和声に寄り添った表現をしてもいいのではないかという感想も持ったが、それは好みで片付けられる程度のことだ。あえて違う表現方法を選ぶのも悪くないし、それはそれで良いセンスだと感じた。
もう一つ思ったのは、こういった何度も同じ旋律が繰り返される曲は工夫が必要だということ。演奏者にとって、実は演奏しづらいものでもあるのだ。聴衆を飽きさせずに、より魅力的な曲に仕上げるのかという点はもう少しアイディアが必要だと思う。

とはいえ、聴衆はかなり満足した様子で、実際いい演奏だったことは間違いない。

 

では、楽曲について。

非常に聴きやすく、少し装飾を纏った印象的な旋律も多くの人にとって親しみやすい。
若い作曲家にありがちな小細工をすることなく、曲全体の構成を自立させている点で高評価。そして、それが前提にあるからこそ、和声的工夫や主題に付された変化などが際立つ結果になっているのだろうと思う。
この曲は主題となる旋律が繰り返し何度も現れる。その後ろでは色々な変化が起こっているのだが、旋律自体には余計な変化は与えられていない。
その中で、様々な要素を用いて旋律の印象を強めている。場面の切り替え方や和声の流れ自体が印象的な仕掛けでもあるのにも関わらず、ピュアなままの旋律の印象を強める素材として機能しているのだ。

これは作曲家の意図を理解したうえで言うのだが、演奏者に多くの判断を委ねるような曲でこれだけ同じ主題を繰り返すのは演奏者泣かせでもあると思う。
というのも、こういった曲の場合、演奏によっては「同じ旋律ばかりが繰り返されてクドイ」という印象に繋がる危険もあるからだ。
その点、演奏者に任せずにもう少し明確な変化を与えるか、もしくは主題を使用する限度を設定するか、という選択をしても良かったのではないだろうか。この曲は、主題によって全体の統一性を持たせている部分もあるので、その辺の選択は難しいところでもあるというのは付け加えておこう。
また、主題とそれを繰り返すことに意味を持たせているゆえの結果なのだろうとも想像している。

大学時代から作曲能力も高かったが、今回の曲も非常におもしろく、彼の個性が良く表れた素晴らしい曲だった。率直に、また別の演奏でも聴いてみたいと思った。この曲の違った面を見れるかもしれないという意味において。

 

ちなみに、冨田一樹氏は冨田勲の息子ではない。作曲もされる為ますますややこしいが誤解なきよう(笑)

 

 

今回の公演は注目すべきところが多く満足度の高いプログラムだった。
演奏についても、彼の様々な面をごく一部ではあるが見ることが出来たのは良かったと思う。また、彼の音楽に対する理解度の高さを示すことにも成功している。

初リサイタルとしては充分な出来といえよう。