ありふれているからこそ価値あるもの。
これはごく個人的なことだけれど・・・
僕は古楽を含むクラシック畑の人に誇れるような、胸張れるような活動をしたいとは思わない。
僕もツィンク奏者だから、サンマルコ寺院で吹いてみたいと思うことはある。
*サンマルコ寺院はツィンク奏者にとって重要なレパートリーを残した作曲家や演奏家が音楽を担当していた教会。
でも、僕はその辺の「音楽なんか知らねぇよばぁろぉ!」みたいなオヤジと一緒に音楽を楽しめたら最高だなぁなんて思う。
もしも、何かの間違いで僕がサンマルコ寺院で演奏するようなことがあったら、そんなオヤジにいっぱい来てほしいなぁw
肩ひじ張らずに、難しいこと抜きにして楽しみたい。
それが正しいとか、そういうことじゃない。
ただ、何にでも権威を求めたり、本流でなければ認められない、といった価値観は好まない。
音楽は開かれたものであって、決して音楽家たちだけのものではないのだから。
だから、僕はオヤジたちと音楽を楽しめたら、それは至高の喜びだと思う。
いや、、無論、美女であることに越したことはない。
むしろ、頼むから美女に囲まれて演奏する機会を死ぬ前に一度、、、
音楽はそこら中に溢れていて、取るに足りないからこそ価値がある。
特別なものじゃない。
権威を与える必要なんてない。
そうでないと、音楽は大切な価値をひとつ失うのだと思う。