音楽家の価値。
本流にいないと認められないとか、それがすごいとか偉いとか、そういった条件みたいなものが、僕はあまり好きじゃない。
例えば、演奏の上手い下手はある程度区別できるとしても、その活動自体には優劣は付けられない。
カーネギーホールで演奏したと聞いたら、なんかすごいと思ってしまうみたいな。
いや、確かにすごいことだよ?
歴史的演奏が繰り広げられてきたわけだから。
偉大な音楽家たちが立った同じステージで演奏できるのはすごいことだと思う。
でも、それで音楽家の価値が変わるかと言えば、そうじゃない。
いくらカーネギーで演奏したからと言って、その音楽が素晴らしいとは限らないから。
これは、もしかしたら、その辺の消防隊員の中にウサイン・ボルトより足の速い人がいるかもしれない、くらいの話かもしれない。
ただの概念論にしか過ぎないのかもしれない。
でも、本当の価値というのは、ボルトが獲得したメダルの数々にではなくボルト自身にあるってこと。
音楽家も同じ。
どこでどんな勉強をして、どんな人たちとどんな所で演奏したのか。
そんな事で音楽家の価値は判断出来ない。
自分が何に価値を見出し、どう生きるのか。
それは、自分以外の誰にも変えることの出来ないことだし、誰かに決められていいことではない。
自分以外の誰かを評価する時だって同じ。
その人が何をしたかではなく、どういう人間か。
何を持っているか。
経歴や功績は、それを知るための手掛かりでしかない。
それ自体に価値があるわけではない。
つまりは、そういうこと。
ちっぽけなツィンク奏者は、そう自分に言い聞かせるわけです。