ひろしコンフォーコ

ツィンク奏者が物知り顔であれこれ語ろうとするものの、ちっとも上手くいかないブログ。

出来るか出来ないかではなくやるかやらないかだ? 反根性論と反精神論。ただ考えろ!

たった一つの精神論で人生が変わることもあるかもしれない。でも、人生はそんなにドラマチックじゃない。
そんなことは、朝目を覚ますと隣に堀北真希がいるなんてことよりもあり得ないことだ。

 

今回は、世の中全体に言えることだけど、吹奏楽部員やその関係者にも読んでほしいことを書きます。

 

出来るか出来ないか、正確に把握すべし。

自分に何が出来て、何が出来ないのか。

 

簡単に出来ること、ちょっと難しいこと、スーパー難しいこと、出来ないこと。

 

自分がいま、どんな状態にあるのか常に把握しておく必要がある。

それは、日々変化することだ。

体調が悪ければ、いつもなら簡単に出来ることも注意しなければミスが出るかもしれないし、もしかしたら、それを実行すること自体出来ないかもしれない。

それは仕方のないことだし、結局、出来ないことは出来ないのだからそれを認めた上でどうするか考えた方が建設的だ。

 

ストレスレベルも変わる

簡単に出来ることをやってもそれほどストレスは感じないだろう。でも、スーパー難しいことばかり毎日長時間取り組んでいるとかなりのストレスになる。
もし出来ないことばかりやろうとしているならば、よりストレスが大きくなり、身心のバランスが崩れたり健康を損なう可能性もある。

 

それを避ける為には、ストレスレベルが大きいことに取り組む量や頻度を管理するのが役に立つ。
出来ないことばかりやろうとしたり、スーパー難しいことばかりやる状況に身を置くのではなく、健康を保ちながら出来ないことやスーパー難しいことにトライしていくこと。

 

健康を損なえばフォーマンスが下がって出来ることも出来なくなってしまったりするのだから、出来る限り健康な状態でいるのが好ましい。
これは、パフォーマンスが下がっている時は、同じことをしても普段よりストレスレベルが上がるということでもある。

 

無理する→パフォーマンス下がる→ストレスレベル上がる→無理する→さらにパフォーマンス下がる→さらにストレスレベル上がる→endless…

 

どれだけ真剣に毎日毎日何時間も出来ないことに取り組んだからと言って、健康を損なってしまえばその努力は空しいものになる。健康でパフォーマンスのいい状態でも出来ないのであれば、それ以上はない。いまはどうやったって出来ない。頑張りや根性では解決しない。

ならば、出来ないことをスーパー難しいことに、スーパー難しいことをちょっと難しいことにしていく。そうやって、出来なかったことを簡単に出来るようにしていく為にどうすればいいのか建設的に考える方が無理なく上達出来るし、理に適っているとも言える。

 

出来ないことをなくすのではなく、出来ることを増やしていく。

 

現実に照らし合わせれば、このほんの少しの捉え方の違いが物事に取り組むアプローチを大きく変えるということに気がつく。

 

パフォーマンスが下がっている状態で普段から出来ないことに取り組んでも望みは薄い。健康でパフォーマンスのいい状態で取り組んだ方が上達は早い。であれば、出来る限りいい状態でいること。そういう状態でトライすること。その為には、健康を損なわない程度に出来ないことやスーパー難しいことに取り組んでいく必要がある。

 

技術を習得したり、何か出来るようになる為に必要なのは根性ではなく、頭だ。

 

考えること。惰性で取り組まないこと。建設的な考えと明確な意図をもって取り組むこと。そして、再考すること。分析することをやめないこと。

 

 

甘い蜜「根性論と精神論」

根性論と精神論は色々な部分で絡み合っていて相互に影響を与えている。それらの主張や言葉は一見美しいものだけど、それゆえに気づかないところで根性論や精神論に囚われていたりする。

 

僕らは美談が好きだからだ。

 

誰かの苦労や哀しみを美談にするのも趣味が悪いが、根性論や精神論によって不要な苦しみを与えるのとはわけが違う。

もしかしたら、僕らはどこかで新たな美談を求めていて他人や自分の人生にもそれを求めているのかもしれない。

そうやって、根性論や精神論によって与えられる不要な苦しみによって、新たな美談を生み出そうとしているのかもしれない。

 

この世の中は根性論と精神論でまみれている。

 

 

 

よく諦めるなとか夢は必ず叶うとか言うけど、根性でなんとかしようと思っても無駄。
どれだけ根性があろうと決して諦めない不屈の精神があろうと、考えることをやめた瞬間にゲームセットだ。

 

 

考えることをやめた瞬間に全て終わりなんだ。