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ひろしコンフォーコ

ツィンク奏者が物知り顔であれこれ語ろうとするものの、ちっとも上手くいかないブログ。

もっと歌って?感情を込めて?吹奏楽部の指導に疑問を呈す!

中高の吹奏楽部では「もっと歌って!」と言われる事がよくある。そして、その言葉に継いで「もっと感情を込めて!」と指導される。

 

結論から言えば、これは間違った指導だと思うが、そもそもこれは何を意味しているのだろうか。

 

歌うって?

楽譜に書いてある音を単に並べたような演奏になっている時、「もっと歌って!」と指導される事が多い。棒読みになっている、ということだ。確かに、音楽を演奏する時にはプロアマ問わず、どんなレベルでも表現することが求められる。そういう意味では、この指導もあながち間違ってはいない。「棒読みではいけないよ」と。

 

でも、具体的に歌うってどういう事だろう。

どういう風にすれば歌っているという事になるのだろう。

 

感情を込める?

「もっと歌って!」と指導されるシーンでは、感情を込めることを求められる事も多い。これは、どういう事なのだろうか?感情的になる事で、「歌う」ことが出来るのだろうか?確かに、棒読みではなくなるかもしれない。でも、棒読みでなければ何でも良いという訳ではないというのは、誰にでも分かる事だと思う。

おそらく、「音楽の流れや旋律が持つ抑揚を感じ取れ!」という事なのだろうが、それは感情的になる事で得られるのだろうか?甚だ疑問である。

 

事実、感情的になる事と表現する事は全く違う。

 

「歌う」という「スキル」

歌うというのは、

「なんて美しいメロディなんだうぉぉぉおおお!!!」

「可愛いあの娘の為にうぉぉぉおおお!!!」

って気分が盛り上がれば出来るというモノではない。「歌う」というのが「表現する」という事であるなら尚更だ。

「歌う」の基本になるのは音楽理論や音楽史だ。どんな時でも音楽理論や音楽史によって裏付けられる必要がある。

例えば、このシーンは和声よりも対位法を優先すべきだから、輪郭のハッキリした音色で感情的な抑揚よりも正確さを大切にしよう、といった具合いに。

他にも、フォルティッシモで解決に向かいっていく和声の中で旋律が引っ張っていかないといけないシーンだから、太い音色でしっかりとビブラートをかけよう、という例もある。

また、音楽史を裏付けにするなら、ティンパニと一緒に奏でるこのトランペットのモチーフは古典派に良く出てくる型で、当時のトランペットは今のトランペットとは違う音色だったから、それを意識してティンパニとの音量や音色のバランスを考えよう、というアイディアもある。

もちろん、同じシーンでも色々な判断や表現方法があって然るべきだが、いずれにせよ、「なぜそう演奏するのか」明確な根拠が必要なのだ。

それは、音楽は演奏家だけで楽しむ為のものではなく、作曲家や指揮者を含む演奏家、聴衆といった、その空間と楽曲に関わる全ての人によって成り立つものだから、独りよがりな演奏は避けなければならないからだ。

 

そして、当たり前のことながら、これらの知識を実際の演奏に活かす為には、楽器の技術が必要だ。

 

こう考えると、「歌う」というのは知識によって裏付けられ、技術によって可能にする「スキル」だという事が分かる。

 

「歌って」では歌えない

上に書いてきた事から分かるように、いくら部員や楽団員に「歌って!」と言ったからといって、それは無理な事だ。

 

どうして和声法が分からないの?音大生や吹奏楽部員を見ていて思うこと。 - ひろしコンフォーコ

 

この記事では、中高生の吹奏楽部員も和声法などの音楽理論を学んでみよう!と勧めているが、それがもっと必要なのは指導者だ。理論を理解していれば、「もっと歌って!」といった抽象的な言葉ではなく、具体的に「なぜそう演奏するのか」といった事を部員に教えられるからだ。そして、理論に根ざした指導によって、部員自身も自分で応用が出来るようになる。

「ここは非和声音だから〜」といった具合いに。

「もっと歌って!」のもう一つの問題点は、上手くいかない時に、その原因を突き止められないという事にある。上手くいかないから「もっと歌って!」と指導する。それでも、上手くいかないから、更に「もっと歌って!」と。これは、本当に多い事だと思うけれど、「もっと歌って!」と演奏者のせいにしている暇があれば、自分で勉強して具体的な根拠を持って表現する事を始めてみれば良いのである。

繰り返しになるが、「歌う」というのは「感情的になる」事ではなく、「知識によって裏付けられ、技術によって可能にするスキル」なのだ。という事は、まず始めにやることは知識を蓄える事だ。音楽理論を学ぶ事だ。中高生もどんどん学んで欲しいと思うが、学ぶ事を疎かにしている指導者がどれだけ多いか。

吹奏楽コンクールで勝つ為だけではなく、音楽文化と教育の為に、より良い音楽の為に積極的に学んで欲しいと思う。

 

「歌う」はスキルだ。