プロブロガー??なにそれ、チョーだせぇやん。
ブロガーにプロって付けんのダサくない?いや、プロブロガーって生き方を批判するつもりはないけど、なんか、やたらとプロって付けたがるよなぁと。
肩書きにこだわってんの?
わざわざプロって名乗る理由が分からないんだけど、まぁ肩書きは大事だ。自分が何者なのかを対外的に知ってもらうのに役立つし、自分自身も肩書きがあることで活動の軸がブレにくくなったりと、良い事はそれなりにある。
でも、プロって付ける意味はなに?
カッコつけたいの?
プロって付けるのカッコよくないのに?
もし、それでカッコいいと思ってるとしたら、なかなか脳天気なセンスしてると思うw
「ブロガー」だと、「ほうほう、ブロガーさんか」と思う。別に悪い印象はないかなぁと。
「プロブロガー」ってくると、「ぷ、プロ??プロってなによプロって!w」ってなる。ちょっとアホっぽいよねw
他人から言われる分には良いと思うのよ。「プロブロガーのひろしさんは……」とかさ。いいじゃん、名乗ってもないのにそう言われるのカッコいいじゃん。でも、自分で「プロブロガー」って、「見栄かよ!w」って思っちゃうよね。
サッカー選手もさ、サッカー選手でいいじゃん。なに、プロサッカー選手って。プロって付いても何もカッコよくないぞぉって。自分で言うことじゃないぞぉって。カメラマンとかも多いよねぇ。。
研究者でさ、「プロ研究者」とか誰か言わねぇかなw なんか滑稽で良いねw
アマチュアじゃないプライド?
単に「ブロガーです」って言うと、確かに「あぁ、ブログやってんだな」くらいにしか思われないだろうけど、そもそも、プロとアマを分けるのもだせぇって思っちまうなぁ。
まぁ、プロとアマの違いって確かにある訳よ。アマチュアは自分のやりたいようにとか、誰かに喜んで貰おうとか、純粋な動機で活動出来る。それに比べて、プロってのはクライアントとかスポンサーとか、そういうオトナ達の要求に応えないといけない。その人達が求める仕事をしなきゃいけないから、自分のやりたい事が出来るとは限らない。
でも、これにも例外はあって、自分のやりたいようにやってるのに、めちゃめちゃ稼ぐ人もいるのね。それはすごいと思うけど、簡単じゃないのかもしれないし、意外と誰にでも自分の欲望に従えば出来るのかもしれない。そこは分かんないけど、プロとアマってのは、上手い下手ではないのよ。
で、、、
これを踏まえて考えるとですね?プロブロガーが「プロ」と名乗りたがる理由は何なの?って、余計に謎が深まってしまうのよ。
「アマチュアじゃない!」ってことを言いたいのだとしたら、「金を稼いでる」ってアピールしてんの?だとしたら、そんなダサいことはないw 何の自慢話だよw
それとも、「プロとしてクライアントの要求に応えてるんだ!」って言いたいの?もう分けわかんないよね。そういうことは内に秘めといてぇ!他人に見せちゃダメよぉ!
結局何のプライドなのよ……わっかんねぇよ……
目を引きたい?
プロブロガーって言うと、なんだか聞き馴染みもないし希少種だから、ちょっと二度見しちゃうよね。
プロブロガーか………
プ、プロブロガー?!?!
みたいな感じでさ。そういう効果を狙ってるんだとしたら面白いと思うw
てか、もうそれしかねぇんじゃねぇかと。それ以外の理由思い付かないし、意味分からんから!!
ほんで、だいたいプロブロガーって名乗ってるからって文章が上手いとか、面白い記事を書いてるとかじゃないし。あ、プロブロガーは文章が下手とか言ってるんじゃないよ?上手い人もいるとは思う。
でも、僕のまだまだ少ない経験値でこんなこと言うのもなんだけど、プロブロガーってのは、ブログ界隈の人を喰い物にしてる印象が強いよねぇ。。まぁ、ビジネスとしてはアリなのかもしれないけどさ。。
プロって付けんのだせぇ!!!
はい、とりあえずこれが結論ね!覚えといてね!
役立つかどうかは知らないし、独断と偏見まみれだけどね!
だってさぁ、プロブロガーってちょーだせぇやん!!!w
お前らのネーミングセンスどこいった!!!
失くしたセンス探して来い!!!
まったく、誰が最初に言い出したんだか……
早寝早起き?断固拒否!夜の方が良いじゃん!!夜型でいこう!!
朝からこんなこと言うのもなんだけど、夜の方が良くない?笑
朝ってさ、眠いじゃん。頭も働かないし、身体が動けるようになるまで時間かかるしさ。
昼間もさ、全然良くないよね。出掛けるには良いけど、集中力出ないから作業するのには向かないっていうか。
え?生活リズムが乱れてるんじゃないかって?
でたでた、これだよ全く。いるんだよねぇ、朝型信者。人の体内時計にまで文句つけるなんて、一体どんな神経してるんだか。
ボヤいても仕方ないからいっちゃうよ!
夜型?昼夜逆転?
夜型って言うとリズムが狂ってるとか、昼夜逆転とか、ナマケモノか何かと疑われるんだけど、夜型って昼夜逆転のことじゃないのよ。
そもそも、朝型が標準でもないんだけどね。朝型って活動するタイミングが早過ぎる人のことなんだよ。
まぁ、ここでは夜型について。
夜型ってのは、朝型と逆で活動するタイミングが遅い人のことなんだけど、起きるのが遅いだけじゃなくて、脳が活性化するのも遅いのよ。人によって差はあるけど、例えば僕だったら、起床から8〜10時間後に活性し始める。んで、何時間もその状態が続く感じ。僕の場合、休憩もほとんど挟まずに没頭することが多い。その代わり、全く集中出来ないこともあるんだけどね笑 その辺は他に要因があるかもしれないけど、多くの夜型の人は、休憩しながらガッツリ集中出来るタイミングが夕方以降に来るって感じかな。
朝型に変える?
良く健康の為に朝型に変えましょうとか言うんだけど、これは遺伝子で決まっているから変えられないというのが定説。だから、変える必要があるかどうかと論じること自体が意味のないことなんだけど、実際に働いたり学校に通うとなると、早い時間に起きなきゃいけない。
これで何が起こるかというと、睡眠不足。夜型の人は早い時間に起きるリズムになっていないから、早起きはそのまま睡眠不足に直結する問題になってしまう。だから、朝早く起きる必要がある夜型の人は、自分の遺伝子に逆らったリズムで生活することになって、尚且つ睡眠不足にならないように対策もして、めちゃ大変な毎日を過ごしている。
夜型はナマケモノじゃないから寝坊しても許してあげてねw
まぁ、そんなこんなで、夜型は遺伝子で決まっていることなので、これに逆らって朝型風生活をしても健康になるとか、そんなことはない。むしろ、会社を辞めて、自分のリズムに合わせた生活をした方が健康的!w
夜型のススメ
夜型人間よ、夜型を辞める必要はない!と声を大にして言いたいのだけど、なかなか社会が許してくれない。夜型の人は遅く出勤出来るようにとかしてあげればいいのに、と思う。やってる会社もあるけど、チョー少ないよね。
相変わらず社会ってのは、新しい常識を受け入れるのが下手で、いつまでも古いジョーシキにしがみついて根性論よろしくで回っているもんだから、本当に困ったもんである。なんで、いつも精神論が先にきて、より理にかなった方法を試さないのか不思議で仕方ない。
ちょっと話が逸れたような気がするけど、多分気のせいだろ、うん。
夜型にも良いところはあって、集中力は高いし、クリエイティブになれるのね。で、さっきも書いたけど、集中力を発揮する時間も長いから生産性も高かったりする。もちろん、個人差はあるけどね。
てなことで、朝型野郎のみなさま。夜型を駆除するのはやめましょう!!!
じゃっばいばいっ!
ネットとの出会い。僕にはそれが救いだったという話。
僕はパソコンのない家庭で育った。そういう、はいてくのろじぃな物とは全く縁がなかった。幸い小学校の頃から授業で使い方を教わったから、極々基本的な使い方は知っていたけど、僕にとってそれは単なる知識でしかなく、実際に“使う”ものではなかった。
ケータイ
小学生の頃、親のケータイでゲームをしていた。なんて名前のゲームだったか忘れたけど、チャット機能が付いてて、色んな人とコミュニケーションを取ることが出来た。怪しい大人の魅力をぶっ放しているお姉さんとチャットした事もあったっけ。何も起こるはずがないのに、すごくドキドキしたのを覚えている。
今思えば、それが僕とネットとの出会いだった。ネットをしているという意識はなかったのだけれど。
ネトゲの流行
中学生になると周りはネトゲに夢中になる友達も多くなった。ウチにはパソコンがないから出来ないけど、羨ましいなぁくらいには思ってた。
でも、僕はやった事もないのに、随分と長い間ネトゲには反対だった。一人でやる方が楽しいし、良く大人が言う「ネットで知らない人とやるなんてトンデモナイ」って言葉を鵜呑みにしていたのか、僕もそう思っていた。今からすると、なんともバカバカしい考えの持ち主だったのだなぁ、と自分を笑ってしまう。
高校生くらいになると、ドラゴンクエストや大好きなファイナルファンタジーといった超人気タイトルがネトゲになったこともあって、やってみたいという気持ちはあったけれど、パソコンもなかったし、ネトゲに対する偏見は大きかった。
異変
時は流れ、22歳の夏。
僕は、鬱になった。
仕事が続けられなくなり、だんだん人と話すのも難しくなった。趣味で入っていた地元の吹奏楽団の月2回の練習に行くのがやっとだった。人に会うのが嫌で休むことも少なくなかった。
僕がまともにコミュニケーションを取れたのは、その頃同棲していた彼女だけだった。それ以外の人とのコミュニケーションは出来るだけ避けた。調子が良い時は彼女以外の人と話せることもあったけれど、どこか買い物に行っても彼女にレジを任せる程だった。
買い物と言えば、僕は「何が食べたい?」と聞かれるのがストレスだった。思考能力も低下していたのか、考えるのが嫌になっていた。何を考えるのにも、やたらと時間がかかって鬱陶しかったからだ。彼女は、僕の気分を確認して、それに合わせたメニューを作るようにしてくれていた。
その配慮と心遣いには心から感謝している。他人の気分に合わせたメニューを作るなんて、やろうと思って出来るものじゃない。本当にすごいと思う。
パソコンとコンプレックス
僕は毎日、なんとか音楽の勉強や練習を続けようとしながらも、ほとんど何も出来ないでいた。精神的なダメージ減らす為に、仕事に復帰するのはしばらく考えないでおこうという事にしていたのだけど、何をやるにも、僕の重たくなってしまった心と身体はなかなか動いてはくれなかった。
そんな時、僕は興味本位で彼女が仕事で使っているパソコンを借りることにした。色々と知りたい事が知れると思うとワクワクしたし、やりたい事がたくさんあった。彼女も、普段は家に置きっぱなしだから問題ない、と快く貸してくれた。
僕は、音楽のことをたくさん調べた。今まで知りたかったけど知れなかったことを色々知れた。音大に通うお金もなかったから、嬉しいことだった。もちろん、それまでも勉強はしていたけど、自分で勉強しているだけでは分からなかったことがたくさんあったから。
音楽以外にも、政治のこと、文化のこと、世界の情勢のこと、何でも気になることを調べた。子供の頃から憧れていたパソコンに触れること、大学に行かなくても色んなことを勉強出来ること、僕のコンプレックスみたいなものを満たしてくれるようで嬉しかった。
暖かさ
ある時、ネトゲをやってみようと思い立った。理由やきっかけは忘れたけど、とにかくやってみたくなって、どんなゲームが良いか調べに調べた。その結果、「戦場のエルタ(旧Aika online)」ってのをやってみることにした。
家でずっと遊んでるとか思われたくなかったから、彼女にも許可を取った。彼女のパソコンだしダウンロードしないといけないからね。
今は亡き戦場のエルタは、いわゆるMMORPGだ。ネット上で色んな人と協力しながらクリアしていくロールプレイングゲームのこと。でも、ネットとは言え、人とあまり関わりたくなかったから始めはソロでプレイしていた。ネトゲも初めてでどうしたら良いかも分からないし、人と一緒にやるって感覚がわからなかったのもある。
でも、画面上に映る他のプレイヤー同士が楽しそうにプレイしているのを見て、次第に自分でもやってみたくなった。かなり悩んだけど、勇気を振り絞って仲間に入れて貰うことにした。
そこで出会った人は本当に素敵な人ばかりで、丁寧にゲームのこと教えてくれたり、一緒に遊んでくれたり、話し相手になってくれたり、ゲームの進行を手伝ってくれたり、本当に親切だった。何よりもふざけた雰囲気で明るくて、でも、お互い全く干渉もせず思い合っていて、居心地が良かった。あんまり楽しくて、毎日毎日一緒にプレイした。
彼らは僕の事情なんて何一つ知らなかったけれど、そんなものはどうでもいいって感じだった。それは単なるマナーとしての振る舞いだったのかもしれない。でも、僕には気遣いのように思えて嬉しかった。
ログインすれば挨拶し合って、風邪をひけば心配してくれて、ふざけ合って、いつも優しく接してくれた。そんな当たり前のようなことが、僕にはとても新鮮で、なんだか暖かに思えた。
彼らは、ネットを通して僕に人の暖かさを思い出させてくれ、人との関わり方なんて何だっていいって事を教えてくれた。
なんとも滑稽な話だけど、インターネットのおかげで、僕はもう一度人と関わることが出来たのだ。ネットが僕の居場所を作り、救いになってくれた。
そこで出会った名前も知らない人たちには、今でも心底感謝している。
楽器の進化??発展??
楽器の進化・発展と言うことがありますが、この表現は正確ではありません。
なぜなら、楽器というのは、その時代の文化や求められる(生み出される)音楽、演奏される場所、その楽器の名手がいるかいないかによって変化するものだからです。
近代工業的な合理主義に基づくなら、現代の楽器ほど完成されたものはないでしょう。
しかし、現代の楽器では出せない音、奏でられない音楽があるのも事実。
それは、古楽器でも同じです。
楽器には、それぞれ役割というものがあります。
何でも出来る楽器というのは、ひとつも存在しません。
存在するのならば、他の楽器はいりませんよね。
だから、この楽器の方がいいとか、現代の楽器がどうとか、古楽器だからとか、どうでもいいことなんです。
そもそも、論じられるべきことではありません。
それぞれの良さを活かして音楽を奏でているのです。
そういう意味では、これからもどんどん新しい楽器が生み出されていけばいいと思いますし、逆に、古い時代の楽器がもっと認知されていくのも面白いと思います。
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最高にこだわり過ぎなんじゃない?
毎年、新年になると一年の抱負を語ったりする。僕も、特に意味を考えず、子供の頃から当たり前のように一年の抱負を考えたりしている。ある程度、大人になったらいい加減に考えることも多いけど、何かしら考えている。
最高の一年にしたい
「最高の一年に」「飛躍の年」「大きな一歩を踏み出したい」
これらの言葉は、新年に語られる事の多い言葉だ。オリンピックを控えたアスリートや悲願の優勝を目指すプロ野球選手が具体的な目的の為に言うこともあれば、毎年のように同じ目標を掲げ、今年こそ目標達成しようと言うこともあるだろう。
どちらにしても、いつも以上に良い一年にしたいという意図が見える。それは、すごく共感出来ることだし、その思い自体は素敵だとも思う。何も否定される必要もないだろう。
でも、本当に最高である必要があるのか?
充実教
これは、充実した毎日を過ごしたいというのに似ている。仕事も忙しいのにそれだけで満足するのはなんだか惜しい気もするし、好きな事や自分の目的意識に合致した仕事をしているのでなかったら、他の事にも手を出すのは当然と言える。
趣味やカルチャースクール、恋愛など、様々な事から充実感を得ようとする。色々なことに興味を持ってやってみるのは良いと思うし、何事も体験してみることで分かることもある。そうやっているうちに、本当に好きな事や魅力を感じるものに出会えるかもしれない。
どうもこの世の中は、充実している事が良いと考えられがちのようだ。何をもって充実しているかというのは、人それぞれの価値観があるだろうが、充実を求めるというのはなんとも不思議な動機である。
ベストを尽くすべき?
同じように、常にベストを尽くすべきだという考え方もある。コンディションが良い日も悪い日も関係ない。いつでも、出来るだけベストを尽くそうとする。
なるほど、確かに日々ベストを尽くすことを積み重ねていけば、大きな目標も叶えられるだろう。
しかし、ベストじゃないことに何が問題あるのだろう。確かにそれが出来れば、そんなに良いことはないかもしれない。でも、疲れてしまわないか?毎日ベストを求めることで、かえってパフォーマンスが落ちてしまうことにならないか?
なぜ、人々は自他にベストを求めるのだろう。
結果はコントロール出来ない
最高の一年にしたいのも、充実を求めるのも、ベストを尽くそうとするのにも、求める結果があるからだ。何かを手に入れる為の願望であり行動だ。
しかし、結果はコントロール出来ない。だからこそベストを尽くすべきだと考えるのも理解出来る。でも、本当にベストを尽くすことが結果に繋がりやすくするのだろうか?
そもそも、結果は本当に必要なんだろうか?
何かを得ることは重要なんだろうか?
結果が全て?
これはモチベーション管理にも繋がることだが、欲しいものを手にする為に行動するのではなく、その“行動”自体を目的にするという選択肢もある。
何かを得るのは素晴らしい体験だ。でも、結果ばかりを求める生き方では、もはや、その“行動”自体の意義が薄れてしまう。スポーツや音楽をする事の意義は誰もが感じているはずだ。しかし、結果ばかりを求めることで、スポーツや音楽をする事よりも、それによって得られる地位や名誉、時にはお金の方が価値あるものだと思い込んでしまう。
そう、僕らは大切なものを見失いやすいのだ。スポーツをしたり音楽をしたりすることが楽しくて、そこに価値を見出していたはずなのに、いつの間にか、結果を出すことの方が大事になっている。スポーツや音楽が、結果を得る為の道具になってしまっているのである。
もちろん、これはスポーツや音楽に限った話ではない。どんな分野でもそうだ。
面白いことに、僕らが良いパフォーマンスを発揮するのは、結果の事を考えている時ではなく、スポーツや音楽といった“行動”自体に集中している時だ。ゾーンやフローといった状態だ。結果を出す為に必要なのは、結果にこだわる事ではなく、スポーツや音楽といった“行動”自体に集中することなのだ。
目標を持つことは大切だ。
でも、一年365日もある。寿命が80歳だとしても29,200日もあるんだ。最高じゃない一年がいっぱいあっても、充実してないことがあっても、ベストじゃない時があっても、目標が達成出来ないことがあってもいいじゃないか。
そんな事にこだわり続けて疲弊するよりも、“行動”自体を目的にし、それを楽しむ方が、ずっと人間らしくいられるんじゃないだろうか。
最高なんかじゃなくたっていいのだ。
ゆるぅ〜く、朝ツィンクいっちゃう?曲紹介!
朝にゆぅる〜く聴けちゃう素敵なツィンクの音楽を2曲だけ紹介!!!
それでは、さっそくいっちゃうよ!!
1.L'aria di Firenze
古い時代の音楽には作者の分からない曲も多いが、この曲もその中の一つ。
どこか懐かしさを感じさせる旋律と軽やかなアレンジが印象的。
演奏は、ツィンク奏者ウィリアム・ドンゴワ率いる、Le Concert Brisé。装飾を交えながらの心地よいアンサンブルを聴かせてくれている。
ドンゴワの趣味の良い装飾も聴きどころ。
2.La Monica
同じく作者不詳。なんとも美しい旋律を持つこの曲は、演奏される機会も多い人気曲。
ここで使用されているツィンクは、通常のツィンクよりも柔らかな音色がするミュートコルネットという楽器。印象深い独特な音色がこの曲の魅力を存分に引き出している。
この演奏も先ほどと同じ、Le Concert Brisé。最初から最後までこの曲の世界に惹き込んでくれる演奏には、称賛の言葉しか思い浮かばないほど。
僕がツィンクを始めた頃、初めて虜になったのがこの曲のこの録音だった。今でも耳にすれば、ツィンクと音楽への愛を思い出させてくれる。思い出深い曲だ。
朝の時間にほんの少し音楽に耳を傾けてみては?いつもと違った朝を過ごせるかも。
今回紹介した曲は、コーヒーにも紅茶にも合うので、ぜひ試して見てね!もちろんココアもOK!
では、心地良い音楽の時間をお過ごし下さい!
※上のリンクをクリックすると、もう少し長く視聴出来ます。
コルネットの黄金時代 (The Golden Age of The Cornett / Le Concert Brise , William Dongois) (2CD) [輸入盤]
- アーティスト: ウィリアム・ドンゴワ,ル・コンセール・ブリゼ,Various,ウィリアム・ドンゴワ(コルネット)
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- メディア: CD
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餅なんか美味ないやん!!
みんな食ってるアイツを、子供に大人気なアイツを成敗してくれるわぁ!!!!
餅、出てこいやぁぁああ!!!!
味ないやん!!!
なにあれ、何味なん?醤油付けたら醤油味やし、お雑煮にしたらお雑煮の味やし、おしるこにしたら小豆の味やん!!
なにお餅って。自分では何にもせぇへんやん!!
確かに食いもんは食感も大事や。でも、味がせぇへんかったら何にもならんやろ!!
あれだけシンプルな豆腐にだって味がある。大豆の美味い味がしよんねん。それに比べたら餅なんて、なんの味もせぇへんやん!!
おい、餅。味せぇよ!!!
食感良くないやん!!
「モチモチして美味しいねぇ」って正気か?!
いい具合にモチモチしてる餅は、めっちゃ喉詰まらせやすいんやでぇ?!こんな危険な食べ物ある?!まさか、餅に生死をかけるほどの情熱を持っているというのか?!
ほんで、もうちょっと柔らかめとかにすると、タダでさえ歯にくっつきやすい餅が、さらにくっつきやすくなんねん!!ずっと口の中で鬱陶しいでぇ?!こうなると、純粋に食感を楽しめるのは最初のひと噛みだけなんやでぇ?!
味せぇへんから食感で楽しもうとしてるのに、死と隣り合わせあったり、歯にくっつきまくったり、何にも楽しないやん!!
餅投げ危なない?!
餅って、調理するまでは意外と固いねんで?知ってると思うけど。
これを、ごっつ高いとこから思いっきり投げよんねん。うまいこと眉間とか後頭部に直撃したらどうすんねん!!死ぬで!!w
餅投げめっちゃ危ないねん!!なんや、餅投げにそこまで命かけんのか?!スーパーで買ったらえぇやん!!
一体、何がしたいんや餅投げて!!
みんな冷静なれよ!!
毎年誰か死ぬ!!
餅投げにしてもそうやし、喉詰まらせるのもそうやけど、毎年誰か死ぬねん!!いっつもニュースなるやん?!
飛行機の墜落とかで死者が出たら大問題になんのに、なんで、餅は毎年毎年たくさんの人の命を奪ってるのに、改良されたり、廃止されたりせぇへんねん。そもそも、問題にもなれへんやん!!なんでなん!!
みんなもっと言うていこう!!餅なんかで死にたないって!!
しっかり訴えていこう!!
結論:餅は食うたらアカン!!
もう、これや。これしかない!もう絶対食うたらアカン!!
人は死ぬし、歯にくっつくし、そもそも美味ないし!!存在してる意味が分からんわ!!
この正月、どうせみんなは食うたんやろ?それは、もう済んだことやししゃーないけど、いま口に入れたそれは吐き出そう!!そっからや!そっから一歩踏み出そう!!
餅のない平和な世界、みんなで作っていこう!!
最後にもう一回言うとくけど、餅なんかぜんっぜん美味ないぞぉ!!ぜんっぜん美味ないぞぉ!!!