春は卒業シーズン。いや、お酒の話です。
全くもって唐突ながらお酒を辞めることにした。
それは、宙から彗星が降ってきて君の名は。の主題歌が流れるかの如く唐突に、実に唐突に終焉を迎えるのである。
終わりというはいつも唐突ではないにしても呆気ないものだ。
お酒が好きだと思っていた
僕はお酒が好きだ、と思っていた。
否、これは今はそう思うというだけで、実際に好きだった時期も長かっただろう。
毎日飲んでることもあったし、おいしいとも思う。
今でも、お酒の席での定番メニューを思い描くだけで、よだれを垂らしそうになる。
でも、結局は惰性で飲んでいたに過ぎない。
もともとそうだったのか、いつかの時点でそうなったのかは分からない。
今となっては、惰性で飲んでいたのである。
お酒の席に行けば、なんとなく飲みたい気がしたり、焼き鳥を頬張ればビールを片手にしたくなる。
僕にとってお酒というのは、そういう条件反射的なものなのである。
かと言って嫌いかと言われたらそうじゃない。
好きじゃないこともないだろう。
でも、昔に比べるとおいしいと思うことが少なくなったのは事実である。
だからこそ、僕は以前は毎日のように決行されていた宅飲みをしなくなったのだ。
酒を惰性で飲むなんて勿体ないことこの上ないし、楽しさ半減するし、何よりダサい。
こういう飲酒習慣とはオサラバするのが吉だろう。
二日酔いと寝不足
僕はお酒を飲むとほとんど毎回のように二日酔いになる。
それもそのはず。
朝まで飲むのだから。
誰だって朝まで飲んでたら二日酔いになる。
それはもはや二日酔いじゃなくてその日酔い。
お酒を飲んで少し眠ったに過ぎない。
僕は嫌いなんだよねぇ、、二日酔いって。
まぁ好きな人はいないだろうけど、ただでさえお腹が弱いのに胃腸へのダメージハンパないし、今は仮にも(というかガッツリか…w)療養中の身。
体調が優れないところに二日酔いって最悪。
悪の帝王とかと戦うよりタチ悪い。
戦ったことないけどさ、まだ。
そして、二日酔いならぬその日酔いなのだから、その日一日はほとんど寝ていない状態で過ごすことになる。
寝不足もいいところだ。
それがその翌日にも響いて寝不足いつまで続くのって。
眠りが極端に浅くなってるのだろう。
まぁ寝不足は僕の平常運転だけど、それがもっと酷くなるともう手が付けられない。
お酒を飲むとそういう状態になるってことだ。
寝不足の影響は計り知れない。
睡眠を制する者は人生を制するとは、よく言ったものである。
そんな言葉聞いたことないけど。
だから、それを邪魔するお酒は排除せねば!というわけである。
実際、昨年胃カメラを入れた時に発覚したことだが、知らぬ間に胃潰瘍や肝臓をやられたりしていたらしい。
という訳で、基本的にはお酒を辞めようというのは、身心の健康の為ということだ。
朝まで飲まなきゃいい?
朝まで飲まなきゃいいじゃん!!
きっと、みんなそう思ったに違いない。
それは正しい。
でも、それは無理なのだ!!
今まで、お酒を飲んで朝まで飲まなかったことの方が珍しい僕にとって、それは修行僧の類でなければ成しえない高尚なことなのだ。
凡人の僕にそんなことが出来るはずがない。
朝までしか飲んだことがないとは、いつもながら脚色に富んだ表現ではあるが、それくらいに朝まで飲まないということが僕には難しいことなのだ。
朝まで、と書いたがこれは時間的リミットを差す。
言い換えるなれば、僕は何らかのリミットを迎えるまでは飲み続けてしまうということだ。
その多くは時間的リミットである。
もしも、この世がずっと夜であるのならば、僕は間違いなく倒れるまで飲み続けるであろう。
いや、普通は時間的リミットよりもそっちの方が多いのかもしれない。
眠たいとか、もう気持ち悪いとか、フラフラになってるとか。
しかし、残念ながら、僕はそんなか弱い乙女的萌え要素は持ち合わせていない。
相当に体調が悪いのでなければずっと飲んでいられる。
そう、アホなのである。
そして、リミットを迎えるまで飲み続けてしまう理由の一つとして考えられるのは、前頭葉の働きの不足だ。
自制心が弱い状態だと言ってもいいかもしれない。
これが一時的か普遍かは現段階では分からない。
そんな人間がお酒を飲むとどうなるか、想像に易い。
少量のお酒で自制心はあっという間に空の彼方へと消えてしまうのである。
いや、僕の場合はお酒を飲もうと思っている段階で自制心は吹っ飛び始めているのかもしれない。
そんなわけで、端からお酒を辞めてやろうじゃないかと。
僕にはその必要があるのだ。
僕を知っている人からすれば、「アイツから酒を取ったら何が残るのだ?」と思うことであろう。
実に失礼な輩である。
しかし、反論はすまい。
反論できないわけじゃないぞ?
いや、本当だ。当り前ではないか。
僕を誰だと思っているのだ?
終わりというのは、唐突に現れるのである。
ホワイトデー?? いやいや、ぼっち'sデイでしょ。
ぼっちというのは、いつだって負け組として周囲から崇められる存在だ。
、、、それは単なる皮肉だ。
実際には、崇められるどころか、蔑まされたり、寂しい思いをしたり、寂しくなくても寂しいやつだとレッテルを貼られてしまう。
この世界に蔓延るぼっち差別の闇は深い。
ぼっちの心の闇もまた然り。
しかし、今日は違う。
ぼっちにとって聖なる日なのだから!
この世界は年中あれこれとイベントに忙しい。
やれ初詣だ。
やれバレンタインデーだ。
やれ海だ。花火だ。浴衣だ。
やれクリスマスだ。
ぼっちは、いつも負け戦を強いられている。
しかし、今日という日だけは違う!
戯けたリア充どもとの聖戦に勝利する日なのだから!!!
なぜかって?
それは今日が俗にいうホワイトデーだからさ。
ホワイトデーってのはバレンタインのお返しをする日。
でも、ぼっちたちはお返しをする相手なんていない。
バレンタインにチョコをもらってないのだから、そんな義務を負っていないのだ。
お返しがしょぼくて文句を言われることも、お返しを忘れて十六文キックを喰らうこともない。
クリスマスに湧き出てきて街中を占拠していたリア充どもも、バレンタインに本命がどうとか下らないことで浮かれていた輩も、みんなみんなこの商業的なイベントに振り回されていればいいのさ。
より神に近い「ぼっち」と言われる存在は、そんなことに頭を悩ます必要がない。
実に快適!
天界からホワイトデーなんてものに振り回されるリア充どもを見るのは。
どんな映画よりも心を打ってくれるではないか!
ホワイトデー?
下らない。実に下らないではないか!!
この日は、ぼっちがぼっちであるが故にリア充どもとの戦いに勝利し、諸手を挙げて喜びを分かち合う日!!
勝利に酔い、自由を謳歌し尽くす。
そう、ぼっち'sデイなのだ!!!
喜ぼう!!
喜び歌おう!!
全てのぼっちたちよ!!!
今日はぼっちの為の一日なのだから!!
きっと来年には祝日になっていることだろう!!
最後に・・・
バレンタインデーにチョコをくれなかった、僕を取り巻く全ての女性たちへ感謝を込めてこちらの記事を紹介しよう。
hiroshimoriyama.hatenablog.com
今夜、あなたのところにお邪魔するかもしれません…うっひっひっひ…
『植松伸夫の創作の軌跡』で僕が体験したことを語ってみる。~苦悩の時代の憧れの人~
3月5日、 ファイナルファンタジー(FF)の音楽の生みの親、植松伸夫の講演会が開かれた。
この会はノビヨ師匠(植松伸夫)が自らその半生を振り返るというもの。
幼少期~現在に至るまで、作曲家 植松伸夫を形成した様々なエピソードが語られた。
ノビヨ師匠に会える!!!!
と大興奮で期待と夢で胸を膨らませながら会場へ。
そこは感激の嵐が渦巻く世界。
今回は、そんなノビヨ師匠なお話。
序章
当日朝、前日もほとんど眠れていないのにテンションはマックス。
いつも朝はすこぶる調子悪いのに、それが嘘のようにさえ感じられる。
興奮しすぎてアヘアヘなってる僕は、遅刻魔であるにも拘らず、時間より早く会場に着いてしまった。
ドキドキして仕方なかったけれど、アヘアヘしながら外のベンチに座って待つことにした。
辺りを見渡し、この中にもノビヨ師匠に会いに来た人がいるのかなぁ、なんて想像を膨らます。
座っていてもじっとしていられず、そわそわそわそわと体をゆすったり、深呼吸してむせたり。
開場の時間。
ビルに侵入し、受付へ。
ノビヨ師匠の講演会に来たであろう人たちが、ノビヨ師匠どこや、みたいな動きを見せている。
受付に聞いたら、ノビヨ師匠の講演会に来た人はそのまま部屋行ってえぇで、ってことで、その言葉を聞いた「ノビヨ師匠どこや集団」とともに部屋へ。
「もっと前に座りたかったのに・・・!!」
心の中の第一声である。
すでにたくさんの人が会場に入っていてのだ。
それでも真ん中よりは前に座れたし、ノビヨ師匠の顔面もしっかり見えたから良かったんだけど。
講演開始20分前。
周囲もどうやら落ち着かない様子。
友達同士で談笑している者もいれば、胸の高鳴りを抑えるようにじっとノビヨ師匠の登場を待つ者もいる。
僕のことは言わずもがな、、、だけど言っちゃう笑
やっと、ノビヨ師匠に会える。
そう思うだけで息が切れるように呼吸が激しくなった。
ずっと夢見てた瞬間がもう目の前に迫っている。
今までもコンサートで生ノビヨ師匠を見たことはあったけど、間近で見るのは初めてだ。
何度ノビヨ師匠の音楽に励まされ勇気づけられ、涙してきたか。
その一つ一つに思いを馳せる、、、なんて余裕すらないけれど、たくさんの想いが頭の中を駆け巡る。
そして、ついに、、、
ノビヨ師匠降臨!!
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!!!!!!!!!
ノビヨ師匠だぁぁああああああああああ!!!!!!
待ちに待ちまくったこの瞬間!!
きっと他の参加者もそうなんでしょう。
ノビヨ師匠が登場するや否や沸き起こる会場いっぱいに響きわたる拍手がそれを物語っている。
僕も叫びだしたい気持ちを何とか抑え、拍手を贈った。
(はぅ!とちょっと声を漏らしてしまったのはここだけの話)
ノビヨ師匠が目の前にいる!!
それだけで、僕の心臓は心肺停止を招きかねないほど興奮に高鳴った。
いつもコンサートやモニター越しで見ているのと何ら変わらないノビヨ師匠。
はぅぅぅ!!!
こうして、夢の時間が始まった。
『植松伸夫の創作の軌跡』
幼稚園時代、オープンリールのテープレコーダーで自分の声が録音できることにショックを受けた話に始まり、小学校時代には登下校の暇を持て余して物語を作って遊んだり、バク宙の練習方法を自分で編み出し習得する話など、なんともおかしな話のオンパレードが続く。
笑顔と笑いの絶えない会場。
ずっと身を乗り出して聴いていた。
激しくヘッドバンギングしながら。
他の参加者も興奮を抑えきれない様子だった。
時折、影響を受けた音楽なども交えながらのお話は、ファンにとっては生唾ものの幸せタイムなのである。
さらに話は続く。
中学生時代~高校生時代~大学生時代と時代ごとに語られていくが、そこには音楽をどう学んだとか、そういう話は一切出てこない。
というのも、ノビヨ師匠は音楽教育を受けたことがない。
音楽大学に行ったこともなければ、いわゆる街の音楽教室にも通ったことがない。
バク宙を自分でマスターしたように、音楽も自分のやり方で自分で覚えてしまった。
僕はそういうノビヨ師匠に、どこかシンパシーみたいなものを感じているのかもしれない。
僕自身、2年前に今の師匠と出会うまでは人から音楽を習ったことなんてほとんどなかった。
そんな僕にとって、今回のノビヨ師匠の話はとても勇気づけられるものだった。
いちいちノビヨ師匠の言葉に頷き、興奮し、感動していた。
中でも一番心に残っているのは、「植松伸夫・冬の時代」の話。
植松伸夫・冬の時代
大学を卒業した後、バイトしながら作曲を続けていたノビヨ師匠。
お金はなかったけど何とか食べてはいけた。
でも、こういう状況は自分で変えようと思わない限り、ずっとその生活が続く。
これではいけないと、バイトを辞めて音楽に専念することを決心。
それからCMの仕事をもらうようになり、しばらくして、当時スクエア(ゲーム制作会社)でゲームを作っていた女性に出会いゲーム音楽の世界に入ったという。
もし、その決心がなければ、スクエアに入社することもゲーム音楽を作ることもなかったのかもしれない。
それは分からないことだけど、自分で状況を変えようと思わない限りその生活が続くというのはその通りだと思った。
これから自分がどうなるかなんて分からないし決意が揺らぐこともあるけれど、僕も自分で音楽の道を選んだんだ。
小難しくあれこれ考えたり悩んだりして自分にストップかけないで、やりたい事やり尽くしちゃえばいいじゃないか、と。
まさにいま冬の時代を過ごしている音楽家にとって、強く心に響くエピソードだった。
質問タイム!
その後、「スクエア時代」と「退社後、そしてこれから」のセクションもあったが、時間が迫っていた為、大急ぎで簡単にまとめられた。
そして、質問タイム!!!
粘りに粘ってなんとか最後に当ててもらった!!
というか、無理やり当ててもらった・・・苦笑
興奮を抑えながら質問する、、、
僕「植松さんの音楽ってベースラインや旋律が美しいのはもちろんなんですが、内声が美しいと思うんです。何か影響受けたとか、自分の中から生み出したとか、、」
師匠「PSG音源の3音の時から書いてるから、3つの音で書く癖がついてるんだと思う。ベースがどうとか内声がどうとか3音で全て表現しないといけないからねぇ。今でも3つの音があれば音楽は出来ると思ってる。」
僕「ルネサンスもだいたい3つか4つの音で作られているんですが、、ごにょごにょ」←ごにょごにょ何言ったか忘れた・・・
師匠「ルネサンスとかそういう音楽好きですからねぇ。ああいう(音の)動きとか。もしかしたら、どっかで影響受けてるのかもしれないね。」
声が震える震える!!!
会いたくてじゃない!!!
もう会ってるから!!!
ノビヨ師匠が質問に答えてくれた。
その事実が嬉しくて嬉しくて発奮!!!
あぁぁもう本当やべぇぇぇえええええ!!!
感激ありがとう!!!
まさかのサイン会!
さらにさらに!
なんと、急遽サイン会にノビヨ師匠が応じてくれることに!!
ふふふ・・・こんなこともあろうかと、ノビヨ師匠がもう何年も前に書いた本を持ってきていたのである。
しかし、さすがは熱烈なファンたち。
それぞれお気に入りのFFのサントラやら楽譜を持ってきているではないか。
中にはiPhoneにサインしてもらっている人まで。
興奮のあまりいてもたってもいられず、さっそくサインの行列に並ぶ。
なんと、自分で作曲した曲をCDに焼いて渡している強者がいる!
なんでも、ゲーム音楽の作曲家を目指しているんだとか。
そして、僕の番。
サインしてもらいながらノビヨ師匠にお願いしてみる。
もちろん、手も声も震えている。
僕「ルネサンスの楽器でツィンクっていうのやってるんですけど、いつか曲書いてください!」
師匠「え?なに?つい??」
僕「ツィンクです!」
師匠「何それー!どんなの?」
僕「ありますけど、、」
師匠「見して見して!」
ササッ!ツィンク登場。
師匠「うわ何これー!」
僕「ここにトランペットとかみたいなマウスピース挿して吹くんです」
師匠「あーじゃー今はアレか、聴かせてって言っても吹けないか」
僕「ありますけど、、」
師匠「お、じゃー聴かせて聴かせてー!」
僕「いいんですか!?」
師匠「ちょっとサイン書いてるから準備してて」
僕「はい!」
ツィンク奏者、ツィンクを吹く。
師匠「おおー、またゆっくり聴かせてよー!」
僕「はい!ありがとうございます!めっちゃ緊張しましたー!握手して下さい!」
師匠「はいどうぞどうぞ笑」
ま、まさか、、憧れのノビヨ師匠の前で演奏することになるとは思わず、、、今までにないくらい緊張で((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
それなのに、ノビヨ師匠に吹いてと言われて、迷いもせず「いいんですか!?」なんて言っちゃって、、、
それくらいの度胸は付いたってことなんだろうな、うん。
しかし、死ぬかと思ったw
でも、そんなに悪くない演奏ではあったぞ!多分!ヘブン!
あれだけ震えて息も上がってたのに、演奏って出来るもんなんだな!w
そんなこんなで、あわあわしながら会場を後にした。
憧れの人
ずっとノビヨ師匠の音楽が大好きだった。
子供の頃からずっと。
いつか会いたいって思ってた。
2012年、苦悩の時代。
この頃、僕はその何年も前から悩ませれていた症状が酷くなり、外を出歩くのさえ難しくなっていた。
人と話すのも嫌った。
そんな時、ふと聴いたのが植松伸夫の音楽だった。
美しいメロディとその優しい世界に涙したのを覚えている。
子供の頃に聴いた耳に馴染んだ曲もあれば、それまで知らなかった曲もたくさん聴いた。
それまでは、単にFFの音楽が好きなだけだったんだと思う。
改めて聴いてみると、次第にノビヨ師匠がどんな人なのかもっと知りたくなって、インタビュー動画を観たり本を買ったり古い記事を読んだりした。
どんどん植松伸夫の音楽にのめり込み、ノビヨ師匠が好きになっていった。
この年の暮れ、Distant WorldsっていうFFのオーケストラコンサートが開催された。
大阪公演には、もちろん僕も行った。
生ノビヨ師匠を見るのは二回目だったけど、ものすごく興奮して、客席から「ノビヨぉぉ!!」と叫んでしまった笑
一緒にいた友達には嫌がられたけど、ノビヨ師匠は手を振ってくれた。
苦悩の時代にこれだけの興奮と感動を与えてくれるもの。
あの時、植松伸夫の音楽を聴いてよかった。
どれだけ支えになったか。
どれだけ救われたか。
そんな憧れのノビヨ師匠に会えただけでも感動なのに、質問に答えてもらったり、サインしてもらったり、握手してもらったり、、、
演奏まで聴いてもらえて。
言葉では言い表せないこの気持ち。
どうやったって語り尽くせない。
夢のような出来事。
僕の喜びに震えた心がそれを体験した何よりの証拠。
僕は、一生この事を忘れられないでしょう。
そして、決意を新たに音楽に向かっていきます。
本当、最高だったよ。
ありがとう、ノビヨ師匠。
ゲーム音楽? クラシック? 音楽は高尚なもの?
ゲーム音楽なんてのはクラシック音楽と比べると、どうしても下に見られがち。
下の記事でも引き合いに出したゲーム音楽に芸術性があるか否か、クラシック音楽に劣るのか問題。
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ゲーム音楽なんてのは俗物でしかないと。
そう鼻で笑うような傾向ってあるけど、敢えてその論調に則るとすれば、音楽なんてのは俗物でなければ価値はない。
どこかの偉い人が偉い人の為に音楽を書く。確かにそんな時代もあったけど、そんなのは長い音楽の歴史からすれば、ごくわずかな期間と地域に過ぎない。
より多くの音楽は民族的な背景から生まれた。
土着の神様だったり儀式の為に生み出されたものもあれば、人の感情や人生について歌ったものもある。
実は、クラシック音楽の発展も進化も民族音楽なくしてはあり得なかった。
音楽は高尚なものだと思っている人の為に、クラシック音楽に限っては高尚なものということにしてもいいけど、そのクラシック音楽だって俗物によって歴史を紡いできたのだ。
そう考えると、そもそも音楽が高尚なものだとしたら、もはや音楽には価値がないってことでもある。
俗物に支えられているからこそ今の音楽があるのだから。
そこに気が付かないうちは、音楽を正面から見れてないってことなんじゃない? なんて意地悪なことを思ったりする。
庶民が奏でたからこそ音楽は生まれ価値を持ったのだ、と簡単に断言は出来ないけれど、そういった面も濃くあるということは抑えたいところ。
そんなこんなでですね、偏った一つの評価軸であらゆる音楽を評価するのは無理があるし意味のないことなんですね。
ゲーム音楽にはゲーム音楽の良さがある。
数ある音楽の中でも馬鹿にされているであろうジャンルということで、今回はゲーム音楽を取り上げてみました。
祝ギネス認定!!ファイナルファンタジーが世界一に!!!
全世界で累計1億3,000万本以上の販売を誇る超人気RPGシリーズ『ファイナルファンタジー(FF)』が、3つのギネス世界記録を樹立したとのニュースが飛び込んできた!!!!
FFぐぁ?!?!
ギネス?!?!?!
しかも3つも?!?!?!?!
はーーーーーー意味わからん過ぎてマジテンションマックスどころか自分が何者かさえもわからんなってきたふぁぁぁあああああああああ!!!!!!!
ほんま凄すぎおめでとうございますぅぅうわぁぁあああああああ!!!!!
あーー文字で叫んでんのに声枯れてきたわ・・・
少々パニック気味ですが、ギネス認定の詳細について現場・・・ではなく自室からお伝えします!!!
「最もタイトル数の多いRPGシリーズ」
第一作が発表から30年、数多くのタイトルを生み出してきたロールプレイングゲームFF。
リメイクやスピンオフも含む認定記録は
87作!!!
うひょぉぉおおお!!!
なんじゃこの化け物じみた数字は!!!
一つのエンターテインメントが叩き出した数字とは思えない!!!
そもそも30年も愛され続けることがすごいけど、それにしても87作って!!!
僕はごく一部の作品しかプレイしていないけど、今からでも全作コンプリートを目指してみては!?
「最も長いエンドロールを持つMMOビデオゲーム」
こちらは、FFシリーズのナンバリングタイトルとしての14作目『FFXIV:新生エオルゼア』に贈られたギネスレコード。
その最も長いエンドロールの認定記録は
1時間38分!!!
ながっ!!!!
普通じゃ考えられないくらいの長さだけど、プロデューサーの吉田直樹氏はこう語る。
「皆さん笑う方がいるかもしれませんが、この賞はもの凄く嬉しい」と語りはじめ、「『FFXIV』は“新生エオルゼア”の前、オリジナルがリリースされてからかなりの年数になりますがそのオリジナルのローンチはとても酷いものでした。それから一生懸命ゲームを直し、新しいコンテンツを作ってきて、その間、ゲームを支えてくれたのが“レガシー”と呼ばれるプレーヤーの存在です。彼らの名前は第7霊災の“メテオサバイバー”として、エンディングクレジットにその名前をひとりずつ刻んでいます。それがあっての1時間38分という長さなので、このギネス記録は、皆さんと一緒に『FFXIV』を作ってきた証しであり、とても光栄な賞だと思っています。これからもプレーヤーの皆さんと一緒に作り続けたいです」
うぅ、、、素敵なエピソードに思わず涙が。。
泣けるじゃねぇか!!!
当時の状況を僕自身は肌で感じてはいないけれど、かなり色々あったと聞く。そういった中で、プレイヤーの名前をエンドロールに記すという発想は素晴らしい!!
シビレるねぇ!!
吉田氏のコメントは以下の記事から引用しました。
「ファイナルファンタジー」シリーズと「FFXIV」が3つのギネス記録を達成! - GAME Watch
「最も多くのオリジナルサウンドトラックを持つビデオゲーム」
こちらも、『FFXIV:新生エオルゼア』が打ち立てたギネス記録。
その認定記録、なんと
384曲!!!
多すぎる!!!!w
でも、これがなかなかの名曲揃いで、決して数だけ多くて質の悪い曲ばかりが並んでいるわけではない!!
おかげで、サントラのチェックにどれだけ時間がかかったか!!ww
しかし、優れた曲が多いので、それだけの曲数があってもかなり楽しんで聴くことが出来た。
384曲。
それだけ多くのドラマが詰め込まれた作品なのだということだろう。僕自身は未プレイながら、コンテンツもかなり豊富だとか。
年内に新しく拡張ディスクもリリースされる予定なので、さらに多くのドラマと音楽が描かれることだろう。
これからも益々楽しみ!!
いやぁしかし、ホントに素晴らしいですね!
改めて
3つのギネス認定おめでとうございます!!!!!
このFF30周年、ただでさえハッピーな年なのに一ファンとして発狂するわ!!!
スクエアエニックス公式サイトでの発表は以下からどぞ!
音楽は芸術??芸術とは??音楽非芸術論。
ある音楽、楽曲が芸術的かどうかなんてのは考えるにも値しないことだと思うわけだけど、特にクラシック音楽ファンやそれに関わる人の中には、個別の曲に対して芸術的価値がどれだけあるか、もっと言えば、音楽は芸術であるべきという考え方の人も少なくない。
しかし、芸術的かどうかという判断をどこでしているのか、かなり感覚的であったり個人の趣味の範囲を超えなかったり、ということが多いように思う。
例えば、芸術的かどうかの基準がベートーヴェンであったりワーグナーにあるのだとしたら、それはとても残念なことだと思う。
というのも、その思考自体が音楽の価値や多様性というものを狭めてしまうからである。
色々な考えがあるだろうけど、最初に言った通り、僕は芸術的かどうかなんてことは考える必要なんかないと思う。
その上で、あえてそういった価値観で音楽を語るとすれば、吹奏楽にもゲーム音楽にもジャズにもロックにも芸術的な楽曲というのはたくさんあると思っている。
クラシック音楽=芸術音楽なんて考え方は古めかしいどころか、基準も曖昧で論理的思考の欠いた感情的なものでしかない。
そういった考えをする人にとっては吹奏楽やゲーム音楽にまで芸術的音楽が存在するなんて認めもしないだろうし、ハッキリ言ってしまえば、芸術とは何か考えてもいないのではないか。
僕は、そもそも芸術という言葉自体にバズワード的な面があると考えているからこそ、そういった価値観を採用しないわけだけど、いわゆる“芸術”という意味ではベートーヴェンにも勝るゲーム音楽なんてのも存在しているかもしれないと思う。
ただ、ここまで言ってきたことを見れば分かるように、この指摘は矛盾している。
結局のところバズワード的な“芸術”という言葉を使って音楽を語ることなど到底出来ないし、どこかに無理が生じるのである。
芸術というのが、何を意味し、その定義と基準を明確にしないことには、芸術という言葉に大した意味はない。
僕は音楽を芸術的かどうかなんて狭い見方をしたくない。
それは、ある種強烈な感情である。
音楽を芸術という枠に押し込めてしまいたくないという切望なのだ。
音楽には多種多様な価値があり、それを捉える人によっても意味が変わるものでもあり、そして、それをどう考えるのかは自由なのである。
そういった意味で、音楽は~である、音楽は~であるべき、といった考えや表現は好まないし、大した価値のないものだと思っている。
そう考えてみると、音楽は芸術であるべき、といった価値観が如何につまらないもので、現実に合わないものであるのか分かって頂けるのではないだろうか。
これも一つの価値観でしかないし、他にも様々な価値観があるのは当然だが、音楽というものを一つの価値観に押し込めたり、決めつけたりせずにいたいものである。
森山広という人間。小学時代編。
前回の続き。
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小学1年生の頃、僕は天草四郎に憧れ単身で熊本県天草市に移住した。そこでの暮らしは、貧乏ったれ過ぎて毎日雑草に塩コショウを振って食べるほどだったが、豊かな自然とのどかな空気に包まれ、僕は自分の天才っぷりに磨きをかけていた。
僕にはくそったれでどうしようもなく残念な兄貴がいる。歳は3つ上だ。天草に引っ越してきたとき彼は4年生で、ちょうど部活動に入部できる学年だった。彼には、水槽と音楽と何が関係あるんだ? くらいの知識しかなかったが、音楽が好きなら、という母の勧めで吹奏楽部に入部した。
このエピソードで分かるように、兄貴は僕と違って天才ではない。いや、ただの愚民である。
ここから、僕は謎の英才教育を受けることになる。
兄貴が吹奏楽部で覚えてきた曲を歌って聴かされ、それを覚えこまされるのだ。そして、僕が歌うそのメロディに合わせて彼が違うパートを歌うという、正直、何が楽しいのかさっぱり分からなかったが、たまには愚民のやることにも付き合ってやらねばならないのが現実。天才であるがゆえの苦しみである。
ちなみに、覚えさせられたのはネリベル作曲のフェスティーボだ。
そんなこんなでワケワカラン毎日を過ごしていたのだが、4年生のときに転機が訪れる。
なんとも運の悪いことに、兄貴もお世話になった吹奏楽部の熱血教師が担任になってしまったのである。
というのも、僕はソフトボール部かサッカー部に入るつもりだったのだが、「森山の弟」というだけで目を付けられてしまったのである。実に不運であるが、才能の塊であるがゆえに見逃すことが出来なかったのであろう。
そして、運命の日。
熱血教師の鶴の一声で、友達と二人で吹奏楽部に見学に行くことになった。
音楽室に入ると教室いっぱいに先輩たちが楽器を持って座っていて、人数も多かったのでそれだけですごい迫力だったが、僕らの為に演奏してくれるというので、じっと先輩たちを見ていた。
ネリベル作曲『二つの交響的断章』の第二楽章。ティンパニソロの強奏から始まり、金管群がフォルティッシモで鳴り響いた。そして、木管楽器が悲痛な叫びをあげる。
見事に整えられたアンサンブルと歯切れのいい金管楽器の音色と迫力、いや、まさに迫真というべきその演奏に、まるで金縛りにでもあったかのような衝撃を受けた。虜になったというのではない。文字通り、“何か”に憑りつかれたのである。
その瞬間、僕はトランペットを演奏することを決めた。
たった4つの音、一小節に並べられた《F-D-B♭-A》という、たったこれだけの音だった。僕の人生を変えたのは。
あの時の音は未だ脳裏に焼き付いている。
今でも目を瞑れば、あの4月の終わりの天草の風景や香りが鮮明によみがえる。そして、その時の光景や先生や先輩と交わした言葉もひっそりと聞こえてくる。
ありふれた出来事だけど、僕にとっては何よりも大きなこと。僕の音楽家としての道のりはここから始まったのだから。
それからというもの、寝ても覚めても音楽のことばかり考えるようになった。それこそ、朝起きてから夜寝るまで、ご飯食べる時も授業中も関係なく、僕の意識は音楽に奪われていた。そして、そう時間を空けずして、ウィーンフィルの首席になることを夢見るようになった。
まったく、天才らしいエピソードである。凡人との違いというのは、こういったところでも現れるのだ。
ちなみに、この頃、現在僕が専門にしているルネサンス~初期バロックの音楽との出会いを果たしている。それがルネサンスだとか初期バロックだという意識はなかったが。
また、ツィンクとも資料の中で対面しているが、これがツィンクとの初めての出会いである。
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そんなこんなで、不思議な方向に興味を持ちながらも普段は特に意識することなく、いわゆるクラシック音楽やオーケストラ、トランペットで奏でられるあらゆる音楽に憧れを抱きながらこの時代を過ごすことになった。
吹奏楽部に勧誘し、勝手に自分の担当する楽器を決めてしまった僕を受け入れ、音楽を教えてくれた熱血教師のことは恩師だと思っている。それくらいに感謝している。それは、間違いなくこの時代に経験したことが、現在の僕の礎になっているからである。
こうして、ツィンク奏者が生成され始めたのだった。
最近になって思うことがある。
当時考えていたことは正しかったと。
一人の人間として将来結婚し子供を育てるべきだが自分は結婚すべきでない、自分にはそれが出来ない、と悟っていたのだから。
見事に、現在の僕は結婚不適合者で花の散った独身である。
物語は、まだまだ続く…
うーん、なんかちっと真面目っぽくなっちまったなぁ、、、
不本意である。
※100億割増しで脚色してます(@_@)
F-D-B♭-Aは「ファ・レ・シ♭・ラ」の音のことです。