週末の夜は古い音楽でも聴いて過ごしませんか?
今宵はですね、クラシック音楽として知られている時代よりも古い音楽を紹介しようかなぁ~、なんて思ってます。
みなさんどうですかねぇ、今の時代って音楽を聴くにも便利になって、むしろ音楽だけに耳を傾けてゆっくり過ごす、みたいな時間って意外とないのではないでしょうか?
いつでもどこでも何をしていても聴けますからね、今は。
もちろん、それも素敵なことですけれど、たまには昔のように、音楽だけの時間も良いのではないかなぁ、そんな風に思ってます。
昔のようにって言いましたけど、今の若い人、特にスマホ世代はどうなんでしょうか。
音楽だけの時間ってかなり新鮮に思うのではないでしょうか。
僕自身は、CDとかテープの時代ですから、そこそこ便利になってはいましたけど、あまりポータブルミュージックプレイヤーなんてのはメジャーではありませんでしたからねぇ。
僕もテープのウォークマン持ってましたけど。
でも、やはり聴き方は昔と変わらないというか、音楽に熱心に耳を傾けて聴いてましたねぇ。
四六時中、音楽に触れられることが嬉しくてたまらなかったのを良く覚えています。
気分転換で音楽を聴くことなんてなかったですもんね!
音楽が聴きたくて聴きたくて、一日中聴いてました笑
今は、そんな時間を持つこともほとんどなくなってしまって、やはり、ながらで聴いてます。
作業しながら気分転換に、とか、そんな感じが多くなりました。
まぁ、そんなこんなでですね、たまには音楽にどっぷり浸ってみようじゃないかと!
流星群が観れる!ってなったらみんな星空観に行くじゃないですか。
桜の季節には花見に行きますよね!
そんな感じで、音楽を思いっきり楽しんでみるのも、きっと素敵だと思いますよ!
てなわけで、ふる~い音楽をいくつか紹介しましょうかね!
演奏は、ツィンク奏者ジャン・テュベリ率いる『Ensemble La Fenice』とカウンターテナーのフィリップ・ジャルスキー。
アルバム『Un concert pour Mazarin』から4曲お届け!
どぞ、お楽しみあれ!!
※iTunesでもApple Musicでも聴けます!リンクをクリックするともう少し長く試聴出来ます!
独自ドメイン取得しましたー!!
ども!愛されすぎてお困りなツィンク奏者、ひろしです!
記事も少しずつ増えてきたし、グーグルのアドセンスもそろそろ導入したいしってことで、、、
独自ドメイン取得しましたー!!!
今までは、URLの最後に「hatenablog.com」って付いてたんですけど、それを取っ払って独自のサイトURLを使いたいなと。
その方が、今後ブログを育てていく上で良い”そう”です。
ちゃんと勉強したんだけど忘れちゃった・・・w
そして、グーグルアドセンスも「hatenablog.com」ってのが付いてる状態では申請出来ないので、お金の為に独自ドメイン取得しました!!w
でも、一番はなんとなくカッチョイイから!!!
結局、なんだかんだ言って人間そんなもんですよね?
多分…
てなことで、今後もガンガンいこうぜでいきますので、よろしくお願いしますー!!
あ、アドセンス広告が入るようになっても、出来る限り読みやすいようにしますので、ご乱心くださいませ。
現代の演奏家が抱える問題。
現代の演奏家は、音大を卒業しているようなレベルであれば非常に高い技術を持っている。
音色も音程もアンサンブル能力のどれをとっても申し分はない。
その上、かなり技巧的なこともやってのけるだけの力も有している。
しかしながら、これだけ優れた演奏家たちであるにも関わらず、ある共通した問題を抱えている。
特に管楽器奏者に多く散見される。
それは、
美しい音色で奏でることにこだわること。
一つ一つの和音にこだわること。
アンサンブルを整えることにこだわること。
この3つをより抽象的に言うなれば、”歌”がないということだ。
美しい音色は一つの道具に過ぎない
どうせ演奏するなら少しでも美しい音色で奏でたいと思うのは、音楽を愛する者の自然な欲求だ。
しかしながら、美しい音色で奏でることにこだわり過ぎてフレーズへの意識と表現が乏しくなっているとしたらどうだろう。
フレーズがどこまで続いてどこで切れているか、そんなことは誰でもやっているのは当然で、僕もそんなことを言いたいのではない。
フレーズを表現すること。
フレーズをどう表現するのか。
それは、単にクレッシェンドするとか、アーティキュレーションを変えるということでもない。
そういったことも大切な要素ではあるけれど、より大切なのは横への流れだ。
どれだけ美しい音色で奏でようとも、ただ音を並べただけでフレーズとして聞こえてくる訳ではない。
美しい音色で奏でることにこだわり過ぎて横への流れが悪くなり、フレーズが聞こえてこなかったり、表現が乏しくなっているケースは非常に多い。
美しい音色を奏でることと音楽は何の関係もないこと。
美しい音色は単なる道具でしかなく、必須アイテムでもない。
大切なのは表現すること。
表現とは何か知ること。
そうでなければ、本来楽器の練習なんて何一つ出来ないはず。
全ては音楽に為、表現の為に技術を磨くのだから。
金管奏者の場合は、バテ対策の為にペース配分をしなければならないことも多いが、その場合、バテるのを恐れて効率重視になり、表現が蔑ろにされている場合もある。
一つ一つの和音に意味はない?
音楽に携わる人なら、多少なりとも和声(コード進行)について学んだことがあると思う。
和声というのは、縦に積み重ねられた音の集まり(和音)が音の組み合わせを変えながら横に流れていく時にどういった効果を生み出したり、どういった表現の可能性があるのかを知る手がかりだ。
和音の使い方についてのルールを学ぶことが和声の本質ではないということ。
現代の演奏家はよく訓練された音感を持っている為、一つ一つの和音を美しく響かせるのに苦労はしない。
しかし、美しく和音を奏でることに気を取られて和音が連なることで生み出される効果が蔑ろにされていることは少なくない。
それぞれの和音は前後の繋がりによってその効果が変わる。
なので、前後関係を考慮した上で、その和音をどう響かせるか考える必要がある。
また、一つ一つの和音としてではなく、和音の連なり(和声)よって生まれた大きな”一つの流れ”としてどのような表現をするか。
一つ一つの和音が美しく響いたとしても、それだけで和声の効果が得られる訳ではない。
和音はそれ一つで意味を持つのではなく、連なることによって意味を持つ。
一つ一つの和音を美しくすることだけでなく、それを横にどう繋げていくのか常に考えるのが大切だ。
それが音楽に表情を与えるのだから。
アンサンブルって何なのよ?
日本の演奏家のアンサンブル能力は世界でもトップクラスだと思う。
高校生の吹奏楽部を取ってみてもそのレベルの高さが伺える。
それが音大卒業やプロのレベルになると、とんでもなく高い水準でアンサンブルを聴かせてくれる。
しかし、ここでも一つ問題がある。
アンサンブルを整えることを優先して主張がなくなっていること。
そもそも主張というのは、音楽に限らず個の主張がなければ全体での主張も生まれない。
そういう意味では、全体のまとまりばかりを追い求めることが、全体の方向性(主張)を生まれにくくしているとも考えられる。
アンサンブルの出発点は、いつでも「自分はどう吹きたいか」「自分はこの曲をどう捉えるか」という個人的なものであるべきだ。
アンサンブルは調和であって、抑制やまとめることではないからだ。
みんなが自由に違うこと言っているにも関わらずまとまっている、調和しているというのは、決して珍しいことではないし、むしろ自然でさえある。
まずは、自分が何を言いたいのか、それを大切にすること。
決して、全体をまとめようとして、個を蔑ろにしたり犠牲にしたりする必要なんてない。
みんなが自由に奏でて、その上でどうするか考えればいい。
個を大切にすることが、全体の方向性と新たな魅力を生み出すのだと信じている。
【このすば】ローソンでこの素晴らしい世界に祝福を!2のキャンペーン始まった!
みなさん、このすば!!!
今年、1月~3月に放送されていた人気アニメ『この素晴らしい世界に祝福を!2』のキャンペーンをローソンで始まりましたぁぁぁぁぁぅぅぉおおおおおおお!!!!!
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駅近の店舗では、すでに品切れしてきているのでお早めに!
特にめぐみん!!!!
めぐみんが全然いない!!!
早めにめぐみんをスティールしといてよかったぁぁぁ…
ちなみに、僕はすでに全キャラクター揃えましたー!!!ィェィ
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笑いあり、涙、、、なし、、、
な、楽しい世界に、きっとほっこりしたり、夢を見たり、笑顔満載に!!
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小さな部屋の中で収まる小さな世界。
昔は思ったのよ。
色んな所に行ってみたい。
色んなものをみたい。
色んな場所で色んな人に出会ってみたい。
色んな経験がしたい。
世界って広いんだろうなぁ~って。
そんな妄想を繰り広げてたわけよ。
憧れとも言うのかな。
少ないお小遣いやバイト代で映画観に行って、その道中で目にするものに新しい世界を感じたり、今まで知らなかったものに出会ったり。
もっと知りたいと思ったし、もっと新しいものに触れたいと思った。
そういうのが好きだったし、面白かった。
でも、今は違う。
世の中は便利になって、わざわざ外に出て行かなくても新しい世界を見つけることが出来るし、新しい人と出会うことも出来る。
いつだって好きな時間に好きな映画が観られるし、買い物だって出来るし、知識やスキルを身に付けることだって出来るし、友達も出来る。
インターネットさえあれば、なんだって出来る。
もちろん、外に出て体験することと違いがあることもあるだろうけど、どちらかが劣ってるという訳でもないと思う。
コミュニケーションに関しては、特に理由がないのであれば、直に会って話をしたり盃を交わすような機会もあった方がいいとは思うけれど。
世界は小さいなぁ。
子供の頃、トランペットを片手に思い描いた世界はあんなに大きかったのに。
こんな小さな部屋の中でほとんど全てのものが収まってしまう世界。
僕が思っていたのとは、少しも似ていない世界。
なんだかセンチメンタルである。
でも、世界ってでけぇなおい!
そう思わせてくれる人もいる。
ツィンクの師匠だったり、以前書いた植松伸夫だったり、憧れの音楽家たちだったり。
師匠のレッスンに行った時は毎回のように思う。
世界ってすげぇな。
こんな人いんのかよって。
特にこれといった取柄とかあるわけじゃないのに悟ってしまっている僕だけれど、こんな風に思わせてくれる存在が身近にいるのは、これ以上にないくらい嬉しいものなのである。
なんだかんだ言って、世界はデカいし、小さい。
僕はどちらの世界も愛しているのだ。
ツィンクの奏法の話をしよう。金管楽器共通のアンブシュアタイプの話。
たまには、ツィンク奏者らしい話題を。
ツィンクはトランペットやホルンのようなマウスピースつけて演奏する、いわゆるリップリードの楽器だ。
それゆえ、一般的な金管楽器と奏法的にもかなり共通することが多く、抱える問題や悩みも似ていることが多い。
その一つがアンブシュアだ。
アンブシュアタイプ
アンブシュアタイプという言葉を聞いたことがあるだろうか。
まだ、あまり一般的ではなく認知度も低い考え方ではあるが、非常に的確かつ客観的にアンブシュアに関して細かな観察がなされている研究なので紹介したい。
金管楽器のアンブシュアは大きく分けて3つのタイプに分類できるというのが、このアンブシュアタイプのアイディア。
多少の違いはあれど、全ての奏者が例外なく大まかなこの3つのタイプに当てはまるという。
それらは、どれが正しくどれが間違っているか、どれが優っていてどれが劣っているかという考えとは無関係だ。
それぞれの奏者が持っているアンブシュアタイプを機能させることが、奏者の演奏能力を一番引き出してくれる。
それが、このアンブシュアタイプの一つの主張なのだ。
言い換えれば、自分のアンブシュアタイプを見極めそれを機能させれば、どんなアンブシュアであったとしても上達が可能だということ。
詳しくは、以下の記事を読んでほしい。
アレクサンダーテクニークで有名なバジル・クリッツァー氏のブログだ。
ここで、氏が翻訳したアンブシュアタイプの研究者デイヴィッド・ウィルケン氏の記事を読むことが出来る。
アンブシュアの見た目と偏見
上の記事を読んで頂くと分かる通り、この考え方はこれまでの常識や教えとは異なる部分も多い。
これまでは、
マウスピースは唇の真ん中に当てるのが好ましい。
マウスピースは唇の真ん中より下にズレてはいけない。
音域によってアンブシュアは変えて(動いて)はいけない。
他にもまだまだあるだろうが、こういった考えが主流であった。
これらに共通するのはアンブシュアを見た目で判断していること。
アンブシュアを固定的な捉え方をしている。
しかし、アンブシュアタイプの研究ではアンブシュアは動いていると主張している。
高音に行くにつれて、アンブシュアとマウスピースが一体的に上方向に動くタイプと下方向に動くタイプがいることが確認されている。
デイヴィッド・ウィルケン氏の他の記事では、それが確認出来る動画も公開されているし、色々な金管奏者を観察してみると、それが間違っていないことが分かる。
どんなアンブシュアの持ち主であれアンブシュアは動いているのだ。
動くべきアンブシュアを固定させようとするとどうなるか。
高音または低音に問題を抱えたり、他の部分で無理をして補うしかなくなってしまう。
つまり、アンブシュアの機能を損なうということだ。
また、アンブシュアの見た目についてマウスピースをどこにどう当てるべきか、ということに言及していない点にも注目してほしい。
アンブシュアタイプは、超高位置、中高位置、低位置タイプに分類されている。
その名称を見て分かる通り、それぞれ見た目も異なる。
唇のかなり上の方にマウスピースをセッティングする奏者もいれば、かなり下にセッティングする奏者もいると。
もちろん、それぞれのタイプの中でも個人差はある訳だが、どのような見た目のアンブシュアであっても重要なのは見た目ではなく、自分が属しているアンブシュアタイプに沿ってアンブシュアを機能させることだ。
アンブシュアを見た目ではなく機能で捉える考え方は、アンブシュアタイプ以外の研究や教育でもすでに広まってはいるが、まだまだ根強い偏見があるのも事実。
残念ながら、それによって機能不全に陥ってしまっているケースも少なくない。
奏法について知りたければ、奏法について研究している人に聞くのが一番である。
プロの演奏家に聞くのもいいが、その場合はこちらもある程度の知識を持っているべきである。
演奏家は演奏のプロなのであって、奏法や教育の専門家ではないのだから。
アンブシュアタイプの名称について
先ほども紹介した通り、アンブシュアタイプは超高位置、中高位置、低位置タイプと、マウスピースを当てる場所の傾向が名称に表されている。
しかし、これには注意が必要だ。
この分類方法は、決して見た目によるものではなく機能によって分類されているからだ。
例えば、ちょうど唇の真ん中辺りにマウスピースを当てて、音域が上がるにつれてアンブシュアとマウスピースが下方向に動いている場合、中高位置か低位置のアンブシュアタイプだと考えられるが、見た目で分類しようとしたならば、これ以上の分析は不可能だ。
では、どうするか。
息の方向で判断可能だ。
この場合、息が下方向に流れていれば中高位置タイプ。
息が上方向に流れていれば低位置タイプと分類できる。
アンブシュアタイプの名称は、あくまでも見た目の特徴を表したものであって、見た目で分類している訳ではないということ。
何度もしつこいようだが、アンブシュアで重要なのは見た目ではなく機能だ。
息の方向については、透明マウスピースを用いると観察しやすいのでオススメします。
今後は奏法については書いていこうと思うのでお楽しみに!
気が向いた時だけだけど・・・
ツィンクに対する誤解をゆる~く徹底検証!
ツィンクに対する誤解ってあるなぁ、とTwitterやFacebookでボソッと呟いたら質問を頂いたりリアクションがあったので、SNSで書いたことも含めて、ここでまとめとこうかなぁと。
色んな人に知ってほしいですからね。
誤解するということはツィンクを知ってくれているということだから、それだけでも有難いんだけどさ・・・
誰得やねん!!ってツッコまれそうな記事だけど、トランペットやピストン付コルネットの歴史にも触れるので楽しんでちょ、と。
それじゃーいっちゃうよ!!
誤解壱:ツィンクってトランペットの先祖でしょ?
この誤解は非常に多いです。
どこでそんなことを聞いたのかは分かりませんが、確かにトランペットの歴史を語る時にツィンクの名前が登場することは良くあります。
Wikipediaのトランペットの項目でもツィンクについて紹介があります。
おそらく、それが誤解される原因でしょう。
実際、そう主張する人もいます。専門家ではありませんが・・・。
では、ツィンクの歴史を簡単に。
ツィンクは、10世紀辺りのカウホーンと呼ばれる角笛に関係があるのではないかと考えられています。
そして、16世紀終わり~17世紀初期に隆盛を迎え、その後、徐々に衰退していきました。
17世紀中頃に入るとほとんど楽譜に登場しなくなります。
ツィンクを演奏する人はいたようですが、かなり少なくなっていたと推測されています。
そして、そのまま子孫を残すことなく歴史から姿を消しました。
一方、トランペットはというと、
その始まりは紀元前に遡ります。
最初期は実に様々な材質で作られていたようです。
その楽器には現代のようなピストンもなく、管に穴も空けられていなかった為、出せる音は限られていました。
13世紀になると、トランペットの語源になったトゥベクタという楽器が作られます。
それから、少しずつ時代を経る毎に姿かたちを変え、19世紀になってようやく今のようなトランペットの形になりました。
紀元前から現代まで、歴史を途絶えさせることなく生き続けてきたのです。
ざっくりとですが、これがツィンクとトランペットの歴史です。
ツィンクが10世紀頃の角笛を起源としていると考えられているのに対して、トランペットは紀元前にすでに歴史に登場しています。
また、ツィンクの時代にもトランペットはあります。
その前の時代にもその後の時代にも。
一方、ツィンクは17世紀以降廃れてしまいました。
よって、ツィンクとトランペットは歴史的に何の関係もない楽器なんです。
では、次のミステリーに参りましょう。
(何かのパクリのような気がする…)
誤解弐:ツィンクってピストン付コルネットの仲間でしょ?
ツィンク(独語)はコルネット(伊語)とも呼ばれます。
イタリアのヴェネツィアで隆盛を迎えた楽器なので、本来コルネットと呼ばれるべき楽器なのですが、現代の日本においてコルネットと言えば、トランペットと形の似たピストン付コルネットのことを思い浮かべると思います。
どちらもコルネットではややこしいので、ツィンクとピストン付コルネットと呼び分けるようにしています。
おそらく、名前が似ているというのが原因かと思われますが、ツィンクはピストン付コルネットの仲間だとか、先祖だと誤解されることがあります。
ツィンクについては先ほど書いたので、ここではピストン付コルネットについて。
ピストン付コルネットは、18世紀のポストホルンと呼ばれる楽器を起源とし、19世紀になって発明されました。
それから現代に至るまで細かな改良は行われていますが、基本的には変わっていません。
これで一目瞭然ですよね。
ツィンク(コルネット)とピストン付コルネットは名前は似ていますが、まったく別の楽器で、歴史的な繋がりもないと。
番外編:トランペットとピストン付コルネットは仲間でしょ?
では、ここで番外編。
ここまで、ツィンク、トランペット、ピストン付コルネットと簡単にではありますが歴史を紹介してきました。
もうすでにお気付きかも知れませんが、実はトランペットとピストン付コルネットも歴史的には関係のない楽器なんですよ!
ピストン付コルネットの起源はポストホルンであって、トランペットではありません。
そして、ポストホルンはトランペットではなくホルンの仲間なんです。
つまり、ピストン付コルネットはホルンの仲間と言っても過言ではないということ!
ピストン付コルネットってトランペット奏者が演奏することが多いですからね。
誤解も当然と言えば当然です。
さてさて、結論といきましょうか!
結論:みんな仲間じゃなかった!
意外ですねぇ、とっても意外ですねぇ!
ツィンクもトランペットもピストン付コルネットも、歴史的には何の関係もない楽器だったなんて!
みんなそれぞれ独自の歴史があると。
そういうことですね。
仲間だと思っていたのにそうじゃなかった、、、
なんて、なんだかとっても寂しい話です。
人生とは孤独なのかもしれません。
みなさんの隣にいる人は、本当に仲間ですか?
オチこわっっ
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